黒江哲郎
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くろえ てつろう 黒江 哲郎 | |
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2016年、米国防省にて (米国防省) | |
生誕 |
1958年3月25日(66歳) 日本 山形県南陽市 |
出身校 | 東京大学 |
職業 | 国家公務員(防衛省) |
黒江 哲郎(くろえ てつろう、1958年(昭和33年)3月18日 - )は、山形県出身の防衛省官僚。第31代防衛事務次官。
略歴
[編集]- 山形県南陽市生まれ、山形市育ち。歯科医・黒江三郎の三男。伯父、黒江太郎は「アララギ」の歌人でもあり、斎藤茂吉と親交があった[1]。
- 山形県立山形東高等学校卒[2]。
- 上級職国家公務員試験(法律)合格
- 1981年(昭和56年)3月:東京大学法学部第1類(私法コース)卒業[3]
- 1981年(昭和56年)4月:防衛庁防衛局計画官付
- 1982年(昭和57年)10月:長官官房総務課
- 1984年(昭和59年)7月:長官官房法制調査官付調整主任
- 1985年(昭和60年)4月:長官官房法規課調整主任
- 1986年(昭和61年)4月:防衛庁部員 長官官房法規課
- 1986年(昭和61年)6月:防衛局運用課研究班
- 1988年(昭和63年)6月:防衛局調査第1課調査第2班
- 1989年(平成元年)6月:防衛局調査第1課調査第2班長
- 1991年(平成3年)5月:防衛局計画官付
- 1992年(平成4年)7月:防衛局計画課計画総括班長
- 1993年(平成5年)7月:防衛局防衛政策課総括班長
- 1995年(平成7年)7月:信頼醸成・軍備管理企画室長(兼)防衛局防衛政策課
- 1995年(平成7年)8月:長官官房秘書課(秘書官事務取扱)
- 1996年(平成8年)7月:長官官房企画官(秘書官事務取扱)
- 1996年(平成8年)11月:長官官房企画官(兼)長官官房総務課
- 1997年(平成9年)12月:防衛庁部員 長官官房秘書課
- 1999年(平成11年)4月:長官官房企画官(併)内閣官房内閣内政審議室(併)中央省庁等改革推進本部事務局企画官
- 1999年(平成11年)7月:運用局運用課長
- 2001年(平成13年)5月:長官官房付(併)内閣参事官(内閣総務官室)
- 2004年(平成16年)8月:長官官房付(併)内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)
- 2006年(平成18年)8月:長官官房文書課長
- 2007年(平成19年)1月:防衛省大臣官房文書課長
- 2007年(平成19年)9月:大臣官房審議官
- 2009年(平成21年)8月:防衛政策局次長
- 2012年(平成24年)9月:運用企画局長
- 2013年(平成25年)7月:大臣官房長
- 2014年(平成26年)7月:防衛政策局長
- 2015年(平成27年)10月:防衛事務次官
- 2017年(平成29年)7月:南スーダンPKOの陸上自衛隊日報の非公表に関わったとして停職4日の懲戒処分。同日退官[4][5]。
- 2017年(平成29年)10月:国家安全保障局国家安全保障参与[6][7]
- 2018年(平成30年)1月:三井住友海上火災保険顧問[8][9]
著書
[編集]- 『防衛事務次官 冷や汗日記 失敗だらけの役人人生』 藤田直央編、朝日新聞出版〈朝日新書〉 2022年1月、ISBN 978-4022951540
脚注
[編集]- ^ “世話焼きの一面、ありありと 茂吉の実物書簡、山形で発見”. やまがたニュースオンライン. 2023年4月6日閲覧。
- ^ 「毎日フォーラム・霞が関ふるさと記山形県」毎日新聞2015年12月10日 10時00
- ^ 『東大人名録,第1部』1992年発行、22ページ
- ^ “日報非公表 次官・陸幕長ら処分 防衛省”. 毎日新聞 (2017年7月28日). 2017年7月28日閲覧。
- ^ “防衛次官に豊田氏 陸幕長後任には山崎氏”. 日本経済新聞 (2017年7月28日). 2017年7月28日閲覧。
- ^ “国家安全保障参与に黒江哲郎前防衛次官を起用”. 産経新聞 (2017年10月4日). 2017年10月4日閲覧。
- ^ “国家安全保障参与”. 内閣官房. 2017年10月10日閲覧。
- ^ “防衛次官が保険へ続々天下りのなぜ 知られざる深い関係”. 朝日新聞 (2019年4月8日). 2020年10月31日閲覧。
- ^ 自衛隊法第65条の11第5項の規定に基づく自衛隊員の再就職状況の報告(平成30年1月1日~同年3月31日分)
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