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黒正甚兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黒正 甚兵衛は、戦国時代の武将。尼子氏の家臣。

1541年天文10年)、吉田郡山城の戦いが発生すると、甚兵衛は尼子軍として出陣した。そして、亀井秀綱の提案により、1500の兵を率いて戦った。しかし、陶隆房が率いる援軍が来たことにより、毛利軍に敗北。尼子軍の足軽の首を使い、毛利軍の兵のふりをして逃亡した。

1543年(天文12年)には月山富田城の戦いが発生。大内連合軍が赤穴光清が守る瀬戸山城を攻めると、甚兵衛は光清とともに戦い、攻めてきた熊谷直続討死した。しかしその後、陶隆房が率いる弓隊の射た弓が光清に当たり、光清は即死した。これによって瀬戸山城は降伏し、捕らえられた甚兵衛は月山富田城に返された。 その後、大内軍が月山富田城を包囲すると、三刀屋久扶三沢為清吉川興経が尼子方へ寝返るのを手助けしている。

関連項目

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