黄順姫
黄 順姫 황 순희 | |
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生年月日 | 1919年5月3日 |
出生地 | 中華民国 吉林省延吉県 |
没年月日 | 2020年1月17日(100歳没) |
死没地 | 朝鮮民主主義人民共和国、平壌 |
出身校 | 金日成高級党学校 |
前職 |
朝鮮革命博物館館長 最高人民会議代議員 第7期朝鮮労働党中央委員候補 |
所属政党 | 朝鮮労働党 |
称号 |
金日成勲章、金正日勲章 共和国二重英雄、共和国労力英雄 |
配偶者 | 柳京洙 |
最高人民会議代議員 | |
当選回数 | 11回 |
在任期間 | 1962年10月 - 2020年1月 |
最高指導者 |
金日成(1948年 - 1994年) 金正日(1994年 - 2011年) 金正恩(2011年 - ) |
その他の職歴 | |
朝鮮革命博物館館長 (1990年5月 - 2020年1月) |
黄順姫 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 황순희 |
漢字: | 黃順姬 |
発音: | ファン・スニ |
英語表記: | Hwang Sun-hui |
黄 順姫(ファン・スニ、朝鮮語: 황순희、1919年5月3日 - 2020年1月17日)は、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。朝鮮労働党中央委員会委員、朝鮮革命博物館館長、朝鮮民主女性同盟副委員長などを歴任。革命第1世代の1人[1]。夫は朝鮮人民軍大将の柳京洙。
経歴
[編集]1919年、中華民国吉林省延吉県で生まれる。1935年11月に朝鮮人民革命軍に入隊し、抗日武装闘争に参加した。日本の敗戦後、祖国が解放されると金日成が率いる朝鮮民主主義人民共和国に帰還し、朝鮮民主女性同盟に恵山市で参加した。金日成高級党学校を卒業。1949年に金日成の妻・金正淑が亡くなると、長男の金正日と長女の金敬姫の世話をした[2]。1961年には朝鮮労働党中央委員会委員候補に選出された。1962年には最高人民会議第3期代議員に選出され、1965年には朝鮮革命博物館責任活動家に就任した。1969年には党中央委員会委員に昇格し、朝鮮民主女性同盟中央委員会委員に選出され、党中央委員会委員の職を2010年まで務めた。1990年に朝鮮革命博物館館長に任命され、2020年に死去するまで務めた。2016年5月9日に開かれた朝鮮労働党中央委員会第7期第1回総会で党中央委員会委員候補に選出された。2017年に金正恩党委員長(国務委員長)が革命博物館を現地指導した際には温かい話を交わしている[3]。2020年1月17日、急性肺炎で死去した。享年100歳[4]。同日、金正恩党委員長が李雪主夫人と共に弔問に訪れた。1月19日に崔竜海最高人民会議常任委員会委員長が国家葬儀委員会委員長に選出され、国葬が執り行われた。
1982年に金日成勲章、2012年に金正日勲章を授与された。
脚注
[編集]- ^ 黄順姫氏死去 北朝鮮の女性抗日運動家 時事通信 2020年1月18日
- ^ 秘録金正日(12)金日成「だから死なせた」となじり「お父さん」と呼べず…影落とす弟と母の死、日本人邸宅生活 産経ニュース 2015年2月17日
- ^ 金正恩氏、改修された朝鮮革命博物館を現地指導 デイリーNK 2017年3月28日
- ^ 北朝鮮「革命第1世代」黄順姫氏が死去 デイリーNK 2020年1月20日