黄金の門 (キーウ)
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黄金の門(おうごんのもん、ウクライナ語: Золоті ворота;ゾロチー・ヴォロータ)は、ウクライナの首都キーウの歴史的地区にある史跡、キエフ大公国時代のキエフの中央門である。
概要
[編集]『原初年代記』によれば、1037年にヤロスラウ賢公がキエフを開発し、町の境界線に土塁を盛り、その上に城壁を作らせ、西へ向かう入り口に大門を構築した。この門の名称は、当時の欧州にとって文化の源であったビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスの門にちなんで、「黄金の門」と呼ばれた。
キエフの黄金の門は土塁の間に大きな赤色の煉瓦と石で造られ、塔のように聳え立った。門の入り口の広さは約7.5mで、壁の高さは9.5m以上であった。キエフはキリスト教の町であることを見せるために、門上に受胎告知教会が造られた。門内はモザイクと壁画によって装飾された。
1240年に黄金の門は、モンゴル帝国の軍勢によって破壊され、それ以後再建されることがなかった。17世紀のオランダ人の画家アブラハム・ファン・ヴェスターフェルトはキエフを訪れるとき、その廃墟をスケッチした。18世紀に門の跡は完全に土に埋まってしまったが、1832年のK・ロフヴィーツィクィイは発掘調査を行い、史跡として保存した。
1982年に黄金の門は復元された。新しい建物は遺跡をカプセルのように覆い隠した。また復元と同時に、この門の歴史についての博物館が開館された[1]。
ムソルグスキー作曲による『展覧会の絵』の終曲『キエフの大門』で知られる[2]。
画廊
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入口側
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出口側
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内部
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近隣の公園
脚注
[編集]- ^ “ウクライナの都キエフの 歴史を物語る不思議な門”. 文藝春秋. 2018年5月5日閲覧。
- ^ “コトバンク - 黄金の門(世界の観光地名がわかる事典)”. 2022年3月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)