黄色いさくらんぼ
「黄色いさくらんぼ」 | ||||
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スリー・キャッツ の シングル | ||||
A面 | 黄色いさくらんぼ | |||
B面 | ピンク・ムーン | |||
リリース | ||||
ジャンル | 歌謡曲 | |||
時間 | ||||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞・作曲 |
星野哲郎(作詞) 浜口庫之助(作曲) | |||
スリー・キャッツ シングル 年表 | ||||
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「黄色いさくらんぼ」(きいろいさくらんぼ)は、スリー・キャッツの1959年の楽曲。作詞は星野哲郎、作曲は浜口庫之助。演奏はコロムビア・オーケストラ[1]。松竹映画『体当りすれすれ娘』(1959年8月公開)の主題歌として制作され、健康的なお色気歌謡として大ヒットした。
解説
[編集]映画主題歌として依頼され、翌日の締め切りに間に合うよう浜口の家で作詞作曲同時進行で「わずか一日」で作られた。占い師が「今年の流行色は黄色」と託宣していたのをヒントにして、浜口はタイトルに「黄色」を付けることを提案した[2]。作詞の際、原稿用紙がなかったため、詞はトイレットペーパーに記した[3]。担当したレコード会社のディレクター(現代の音楽業界ではプロデューサー相当)は後日本クラウン社長となる斎藤昇だった[3]。
この曲は発表年1959年の最大のヒットを記録した。「ウフン」という吐息混じりの擬声語は浜口のアイデアによる。NHKは、歌詞に使った「ウフン」を卑猥と判断し、放送禁止とした[4]。第1回日本レコード大賞にもノミネートされたが、卑猥な表現の社会的影響を理由に大賞は逃した[3]。レコード売上は25万枚[5][6]または(1968年時点で)45万枚[7]を記録した。
B面曲の「ピンク・ムーン」は、浜口としては初となる流行歌の作詞作品。作詞が間に合わず、作曲のみ担当の予定だった浜口が詞も書くことになり、大船へ行く電車の中で詞を書いて渡した[8]。
そもそもが1959年8月公開の映画『体当りすれすれ娘』の主題歌として制作された「黄色いさくらんぼ」だったが、今度はこの曲と同名の映画『黄色いさくらんぼ』が製作され、1年もたたない翌年1960年3月に公開された(詳細は以下の章)。作詞した星野は、翌年誕生した長女を、この曲にちなみ「桜子」と名付けた[4]。
1971年に、B面曲を次のシングル曲である「あの時帰れば」に変更して再発された。
カバー
[編集]- ロス・パンチョス『Kiiro Sakuranbo』(1961年)『Ambassadors of Song』収録、スリー・キャッツと共演。
- ゴールデン・ハーフ『黄色いサクランボ』(1970年)日活映画『野良猫ロック セックスハンター』挿入歌
- ピンク・キャンディーズ『黄色いサクランボ』(1978年)企画アルバム「THE HE!?」収録。オケはゴールデン・ハーフ版の流用。
- シェイプUPガールズ
映画
[編集]黄色いさくらんぼ | |
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監督 | 野村芳太郎 |
脚本 | 野村芳太郎、山田洋次 |
製作 | 今泉国男 |
出演者 |
芳村真理 九條映子 国景子 |
音楽 | 浜口庫之助 |
主題歌 | 「黄色いさくらんぼ」(スリー・キャッツ) |
撮影 | 川又昂 |
編集 | 浜村義康 |
製作会社 | 松竹 |
公開 | 1960年3月18日 |
上映時間 | 76分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
映画は1960年3月18日、松竹系で公開された。カラー、スタンダード、76分。オープニングにはスリー・キャッツと浜口庫之助も出演している。
スタッフ
[編集]出演者
[編集]- 帆立なぎさ:芳村真理
- 下田笛子:九條映子
- 磯野サヨリ:国景子
- 陸奥吾郎(なぎさの恋人):穂積隆信
- 亀野幸雄:小坂一也
- 下田張吉(笛子の父):永田靖
- 亀野甲(幸雄の父):中村是好
- リリー(ストリッパー):春川ますみ
- 鮎川:ミッキー安川
- 谷よしの
同時上映
[編集]『白い波涛』
参考文献
[編集]- 浜口庫之助『ハマクラの音楽いろいろ』立東舎、2016年。ISBN 978-4-8456-2816-2。
脚注
[編集]- ^ スリー・キャッツ – 黄色いさくらんぼdiscogs
- ^ ラジオ「大滝詠一のスピーチ・バルーン」星野哲郎ゲスト回
- ^ a b c 第1回日本レコード大賞を逃したエロティックな歌謡曲「黄色いさくらんぼ」TAP the POP
- ^ a b 星野哲郎公式ウエブサイト いろはにそらしど 年譜
- ^ 平尾昌晃『昭和歌謡1945-1989 歌謡曲黄金期のラブソングと日本人』廣済堂新書、2013年、66頁。ISBN 978-4-331-51771-0。
- ^ 浜口 2016, p. 31
- ^ 堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社、1968年、346頁。NDLJP:2518791/190
- ^ 浜口 2016, pp. 79–80