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黄瀬平治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

黄瀬 平治(きのせ へいじ、寛政9年(1797年) - 天保14年(1843年))は、江戸時代後期の一揆指導者[1][2]

経歴・人物

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近江国甲賀郡杣中村(現:滋賀県甲賀市水口町)の農民[1][2]

天保13年(1842年)の近江天保一揆を、弟の平兵衛と共に指導した[1][2]。のち平兵衛と共に捕らえられ、大津の獄に入る[2]。平兵衛は大津にて獄死し[2]、のち平治は江戸小伝馬町に送られ獄死した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『黄瀬平治』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 近江人物志. 滋賀県教育会. (1917). p. 616. https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1880402/352