黄山城
黄山城 황산성 | |
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生年月日 | 1944年11月13日(80歳) |
出生地 |
朝鮮慶尚南道晋州 (現・ 韓国慶尚南道晋州市) |
出身校 | ソウル大学校法科大学 |
前職 | 裁判官、弁護士 |
所属政党 |
(民主韓国党→) 自由民主連合 |
宗教 | キリスト教 |
在任期間 | 1993年2月26日 - 1993年12月22日 |
大統領 | 金泳三 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 1 |
在任期間 | 1981年 - 1985年 |
黄 山城(ファン・サンソン、朝鮮語: 황산성、1944年11月13日 - )は、韓国の女性判事、弁護士、政治家。元環境処長官、第11代国会議員。本貫は檜山黄氏(昌原黄氏)[1]。キリスト教徒[2]。
経歴
[編集]日本統治時代の慶尚南道晋州の牧師の家庭に生まれた。元国会議員の黄南八は同じ村出身の一族の親戚である[3]。名前は詩篇 18:3の「主は(中略)わが砦の塔」(여호와는(中略)나의 산성이시로다)に由来する[4][5]。
京畿女子高校、ソウル大学校法大卒業。第12回司法考試合格(女性としては通算3人目)[2][6]。
ソウル家庭法院、ソウル民事地方法院で判事を務めた後、1979年に弁護士を開業した。1981年の第11代総選挙で全国区から民主韓国党の公認で当選し、国会議員の他に放送文化振興会理事、経実連監事、学父母連帯代表など、多様な社会活動にも参加していた[6]。1985年の退任後に弁護士として活動再開[4]。
金泳三政権で新政権樹立直後の環境処長官を務めたが、在任中にズボンのポケットに手を入れて答弁したことでメディアに叩かれた。また感情的になりやすく、よく涙を流すことや、黄が他人の遺言執行者を務めた時にその人の遺産を利用して宣教財団を設立したなどの問題でメディアと揉めたため[7][8][9]、10か月ほどで長官職を辞めた[10]。退任後は弁護士に復帰し、大韓弁護士協会理事、自民連副総裁を歴任した[2]。1995年の第1回全国同時地方選挙でソウル市長選に出馬したが落選した[11]。1999年に脳出血で倒れた後、政治・社会活動から引退し、2002年の大統領選挙の時は盧武鉉を支持した。2003年ごろまでには弁護士としてメディアによく出演したが、その後はまた政界入りの意欲を示し、2004年4月の第17代総選挙で韓国基督党の比例代表1番として出馬したが落選した[10]。
家族
[編集]生涯に2度結婚し、3男2女をもうけた[4]。
脚注
[編集]- ^ “정복규의 한국 성씨를 찾아서32-창원황씨(昌原黃氏)” (朝鮮語). 신아일보 (2012年1月31日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b c “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年9月6日閲覧。
- ^ “강희근 교수의 慶南文壇, 그 뒤안길(372)” (朝鮮語). 경남일보 - 우리나라 최초의 지역신문 (2016年2月4日). 2024年8月31日閲覧。
- ^ a b c “활짝 열린 여성장관시대” (朝鮮語). 조선일보 (1993年2月27日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “2021年11月21日 「主はわたしの盾」”. 日本キリスト改革派羽生栄光教会. 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b “...황산성 환경처장관” (朝鮮語). 한경닷컴 (1993年2月26日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “초점인물 황산성 보건사회부장관” (朝鮮語). KBS 뉴스. 2022年9月6日閲覧。
- ^ “여성 장관은 ‘쫓겨 날’ 수밖에 없다” (朝鮮語). 시사저널 (1999年7月15日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “황산성장관 설립한 선교재단 취소 판결” (朝鮮語). 매일경제 (1993年10月28日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ a b “아 참! 그사람 정계 떠난 황산성 변호사” (朝鮮語). 중앙일보 (2004年7月8日). 2022年9月6日閲覧。
- ^ “서울시장 선거전, 황산성.김옥선.정기용씨도 출마 선언[김동섭]” (朝鮮語). MBC NEWS (1995年5月26日). 2022年9月6日閲覧。