鹿振山館
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鹿振山館(かぶれやまやかた)は、栃木県矢板市大字平野の鹿振山にある塩谷氏の重臣大沢氏の館跡。
沿革
[編集]『矢板の伝説 後編』によれば、平野の鹿振山という山に、かつて大沢氏の館が存在したと言われている。大沢氏は、13世紀末期から14世紀の初めの頃に、元々、宇都宮家の家臣であったものが、宇都宮氏に派遣されて、その一族である塩谷氏に仕えるようになったものであるが、その時の大沢氏の当主である大沢正勝(政勝・助八郎・隼人亮)が、塩谷氏より賜った領地のひとつが平野村であり、この頃に館が築かれたものと考えられている[1]。
前出によれば、当地には、土塁も残るというが、確かに堀切や切岸、土塁のような地形が見られるところもあるが、堀切は切通し、切岸や土塁も山林開発の跡と区別がつかない程度で、鹿振山自体が字名になるほど広く、この『土塁』が、具体的にどれを指したものかは不明である。ちなみに、山の南端に、腰曲輪のような遺構が残るが、これは、かつてこの地より産出した花の木沢石の採掘の跡で、館の遺構ではない[2]。
館は、塩谷氏が改易された後も大沢氏の屋敷として使われたが、間もなく、この館に住んだ大沢氏は、別の地に移り住んでおり、16世紀末には廃されている。
埋蔵金伝説
[編集]『矢板の伝説 後編』によれば、当地には、塩谷氏の埋蔵金伝説が残り、これを実際に探し、発掘しようとした人もいたという。現地には、その採掘の穴の跡も残っている。