鷲見禎彦
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鷲見 禎彦(すみ よしひこ、1930年(昭和5年)11月15日[1] - 2024年3月29日)は、日本の実業家。元日本原子力発電社長。
経歴
[編集]滋賀県出身[1]。鷲見健康・菊枝の二男[1]。1953年(昭和28年)京都大学工学部電気工学科を卒業し、関西電力に入社する[1]。副支配人中央送変電建設事務所長、支配人北陸支社長、同福井原子力事務所長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年(平成11年)日本原子力発電社長に転じた[1]。2004年(平成16年)6月、同相談役となった[1]。社長在任中は敦賀3、4号機の増設計画など、原子力発電開発の推進に取り組んだ[2]。
栄典
[編集]- 勲章等
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 興信データ株式會社 2005, す12頁.
- ^ a b “春の叙勲、旭日大綬章を元東京電力会長の數土氏が受章他”. 日本原子力産業協会 (2019年5月21日). 2021年12月3日閲覧。 アーカイブ 2021年12月3日 - ウェイバックマシン
- ^ “鷲見禎彦氏が死去 元関西電力副社長”. 日本経済新聞 (2024年4月8日). 2024年4月9日閲覧。
- ^ “令和元年春の叙勲 旭日重光章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月19日閲覧。
- ^ “ミャンマー日本商工会議所会頭 井土 光夫 氏”. MYANMAR JAPON (2015年8月). 2021年12月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 興信データ株式會社『人事興信録 第43版 上』興信データ、2005年 。