鴻池忠三郎
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鴻池 忠三郎(こうのいけ ちゅうざぶろう、1879年(明治12年)8月7日[1] - 1947年〈昭和22年〉5月[2])は、日本の実業家。鴻池組社長[3][4]。大阪府多額納税者[4][5]。族籍は大阪府平民[1][6]。
人物
[編集]大阪府人・鴻池忠治郎の長男[3][4]。土木建築請負業を営み、鴻池組社長である[4]。上海製油取締役をつとめる[6][7]。また大阪商工会議所常議員である[7]。
1934年(昭和9年)、芦屋にあった邸宅が室戸台風の直撃を受けて倒壊する被害を受けた[8]。
1938年、紺綬褒章を下賜される[7]。趣味は旅行、写真[4][7]。宗教は日蓮宗[4][7]。住所は大阪市西淀川区伝法町北3丁目[3][9](現・大阪市此花区伝法)。
家族・親族
[編集]- 鴻池家
- 父・忠治郎[1](1852年 - 1945年、鴻池組創業者)
- 妻・トヨ(1885年 - ?)[3][4]
- 男・藤一[4](1912年 - 1994年、鴻池組社長・会長)
- 六男・十郎[4](1920年 - 2004年、鴻池運輸社長・会長)
- 男[4]
- 長女[4]
- 二女・喜美子(1908年 - ?、荒井賢太郎の二男の妻)[4]
- 三女・勇喜子(1911年 - ?、鴻池勝治の妻)[7]
- 養弟・小六[1](1884年 - ?、鴻池組社長)
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d 『人事興信録 第5版』こ77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月3日閲覧。
- ^ 『建築と社会 Vol.34』48頁。
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』コ107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 上』コ137頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月3日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』10頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月10日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第7版』こ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月10日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』コ117頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月4日閲覧。
- ^ 高潮の阪神沿道で三百人行方不明『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日号外(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p229 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『官報 1937年03月20日』官報 第3062号 30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年2月10日閲覧。