鴨遺跡
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座標: 北緯35度18分46秒 東経136度00分44秒 / 北緯35.31278度 東経136.01222度
概要
[編集]鴨遺跡は、安曇川と鴨川が形成した沖積平野に立地する縄文時代から江戸時代までの複合遺跡である。
昭和54年(1979)に宿鴨から南鴨にかけて行われた県営ほ場整備事業に伴い発掘調査が実施された。
検出した遺構は、9世紀後半を中心とした時期の区画された建物、塀、溝、井戸などが検出されている。
出土遺物には、貞観15年(873)の農耕収穫を記載した長大な木簡や、遠敷郡(福井県)の庸米の木簡をはじめとして墨書土器、銅印、硯などの文字関連資料、人形代、木沓、などの木製品、緑釉陶器、灰釉陶器等の土器類など、平安時代前期の遺物が多く出土している。
遺跡の性格としては、近江国の高島郡の官衙遺跡と考えられてきたが、近年では古代の荘園関連の遺跡とも考えられ、当時の生活様式を知る上で重要な資料となっている。 [1]
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 『高島市内遺跡調査報告書』高島市教育委員会 2015(平成26年度)5ページ
参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 『高島市内遺跡調査報告書』高島市教育委員会 2015(平成26年度)
関連項目
[編集]- 鴨稲荷山古墳 - 6世紀前半の首長墓(前方後円墳)。畿内特有の家形石棺、朝鮮半島の影響を強く受けた豪華副葬品を有する。
- 平ヶ崎王塚古墳 - 田中王塚古墳と墳丘規模・墳形・築造方法等に共通性が認められる。
- 田中王塚古墳 (高島市安曇川町田中) - 安曇陵墓参考地。5世紀後半の首長墓で、彦主人王の墓と推定される。
- 熊野本遺跡 - 古代高島の弥生時代から古墳時代にかけての首長墓系譜を考える上で重要な古墳群。
- 北牧野製鉄遺跡 - 古代の製鉄遺跡群。北牧野古墳群との関連性が指摘される。
- 北牧野古墳群 - 高島市最大の群集墳。製鉄遺跡との関連性が注目される。
- 上御殿遺跡 - 縄文時代から室町時代の遺跡。日本国内初の双環柄頭短剣(中国内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ている)の鋳型が出土した。
- 下五反田遺跡 - 3世紀から11世紀にかけての遺跡だが、中心を成すのは5世紀中葉の遺跡である。出土品から渡来人との交流が見られる。
- 東谷遺跡 - 古墳時代後期くらいから製鉄が行われていた可能性がある製鉄遺跡。
- 南市東遺跡 - 5世紀後半頃の遺跡。カマドや韓式土器など、渡来人と交流があったことをうかがわせる遺跡である。
- 日置前遺跡 - 縄文時代から鎌倉時代までの複合遺跡。高島郡の郡衙跡と思われる遺跡が見つかっている。
外部リンク
[編集]- 鴨遺跡出土の荷札木簡広報たかしま
- 鴨遺跡 高島ものしり百科