鳳梧洞戦闘
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鳳梧洞戦闘 | |||||||
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朝鮮独立運動中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
大韓民国臨時政府 | |||||||
指揮官 | |||||||
Yasukawa Jiro Nihimi Jiro |
洪範図 崔振東 李興秀 安武 Han Gyeong-se | ||||||
戦力 | |||||||
500 | 約1,200 ~1,300[1] | ||||||
被害者数 | |||||||
日本側の記録 1人死亡、2人負傷[2] 朝鮮側の主張 157人死亡、300人負傷[2] | 4人死亡、2人負傷[2] |
鳳梧洞戦闘(ポンオドンせんとう、ハングル: 봉오동 전투)は、満洲での大韓独立軍と日本軍第19師団との間の戦闘。1920年6月6-7日に中華民国吉林省汪清県鳳梧洞で起こった。
戦いの発端は6月6日に発生した三屯子戦闘である。この戦闘の前に、日本軍が豆満江を渡り三屯子に侵攻して住民を殺戮したが、この戦闘において独立軍は進行してきた日本軍を殲滅させた。
その後、日本軍は越江追撃大隊を編成して鳳梧洞に侵攻したが、洪範図の大韓独立軍、安武の国民軍、崔振東の都督府軍が迎え撃ち、日本軍に勝利を収めた。
このときの日本軍側の被害は、日本と朝鮮の主張が異なっており、朝鮮側では、死亡者157人、重傷者200人、軽傷者100人であるが、日本側では死亡者1人、負傷者2人となっている。
2020年6月に大統領の文在寅は、鳳梧洞戦闘100周年の式典を開催した[3]。
2019年に映画「鳳梧洞戦闘」が公開されている。
出典
[編集]- ^ 윤병석, 《간도역사의 연구》(국학자료원, 2006) 74
- ^ a b c “ko:“한국 독립운동 양대대첩 청산리-봉오동전투 과장”” (朝鮮語). The Dong-a Ilbo (9 November 2005). 26 February 2023時点のオリジナルよりアーカイブ。26 February 2023閲覧。
- ^ “Address by President Moon Jae-in on 65th Memorial Day”. Embassy of the Republic of Korea in the Lao People's Democratic Republic (2020年6月6日). 2023年7月10日閲覧。
- 韓国史事典編纂会・金容権『朝鮮韓国近現代史事典 第4版』日本評論社、2015年、196-197頁。