鳥居峠の戦い
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鳥居峠の戦い(とりいとうげのたたかい)とは天正10年(1582年)に起きた、織田軍と武田軍による信濃国鳥居峠における戦いである[1]。
織田信忠の出陣
[編集]2月12日織田信忠が出陣し、土田に宿営。
2月13日高野に陣を移す。
2月14日岩村に到着、陣を構える。
織田信長の援軍派遣
[編集]信長は以下の武将を援軍として派遣した。滝川一益、河尻秀隆、毛利長秀、水野直盛、水野忠重。
小笠原信嶺の寝返り
[編集]2月14日、信州松尾城主の小笠原信嶺が織田方への寝返りを表明。これを受けて団忠直と森長可を先陣として晴南寺へ進軍。木曽峠を越え、梨子野峠へ軍を進める。
小笠原信嶺がこれに呼応。
飯田城の攻防
[編集]武田方の坂西織部と保科正直が籠城。2月14日夜守りきれないと判断し退却。
森長可の追撃
[編集]2月15日:森長可が退却する敵を約11km追撃。市田にて逃げ遅れた敵約10騎を討ち取る。
鳥居峠の戦い
[編集]2月16日武田方、今福昌和を大将とする足軽部隊が藪原から鳥居峠へ進軍。織田方、木曽義昌の軍に遠山友忠父子が加わり、奈良井坂から鳥居峠へ。
討ち取られた武田方の将、跡部治部丞、有賀備後守、笠井某、首級の総数は40余り。
織田方の増援
[編集]木曽方面からの増援部隊は織田長益、織田孫十郎、稲葉貞通、梶原景久、塚本小大膳、水野藤次郎、梁田彦四郎、丹羽氏次。
これらの軍勢は木曽義昌と共に鳥居峠を占領した。
深志城の情勢
[編集]馬場信春の息子である馬場昌房が深志城に籠城し、鳥居峠に対峙して陣を構えた。[2]
脚注
[編集]- ^ 「長野県百科事典」p.572
- ^ 太田牛一 著、中川太古 訳『現代語訳信長公記』KADOKAWA〈新人物文庫〉、2013年10月13日、480-481頁。ISBN 9784046000019。
出典
[編集]- 「塩尻市誌 第2巻 歴史編 中世」
- 「長野県百科事典」信濃毎日新聞社開発局出版部 1974年