鳥居健二
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鳥居 健二(とりい けんじ、1969年6月 - )は、福岡県大牟田市出身の元A級プロボクサーである(フェザー級57.1kg)(スーパーフェザー級58.9kg)(ライト級61.2kg)(スーパーライト級63.5kg)(ウェルター級66.6kg)。鳥居ボクシング&フィットネスジム会長。
プロフィール
[編集]- 1990年1月結婚2月24日長女ユリア誕生3月国立有明工業高等専門学校建築学科を卒業4月セキスイハイム(株)入社 9月久留米櫛間ボクシングジム入門
- 1992年9月6日久留米市でC級プロテスト合格直後にWBA世界ライトフライ級チャンピオン井岡弘樹選手とEXマッチで対戦
- 1993年8月セキスイハイム(株)退職12月17日次女セーラ誕生12月23日熊本市でプロデビュー判定勝
- 1996年1月7日B級6回戦に昇格試合は5R.KO勝ち。1月18日三女ルナ誕生 5月11日現役のまま地元大牟田市にジムを開設
- 1999年7月鳥居健二後援会発足(荒尾市議会議員、後の熊本県議会議員の重村栄氏を後援会長に立ち上げられた)
- 1999年10月10日宗像市でA級8回戦に昇格試合はTVQ(テレビ東京系列)で全国放送されるが判定負け
- 2000年4月16日静岡県で競合選手に8R判定勝ちして全日本B級クラスランキング9位になる。
- 2001年11月11日岡山県で世界タイトルマッチの前座でA級10回戦に昇格するも判定負け。
- 2005年2月28日長男ケンシロウ誕生。7月10日西部日本ランキングで2位となり、周南市で西部日本タイトルマッチのリングに上がるが、レフリーストップ負けでチャンピオンになれず。11月21日広島市で14歳下の選手相手にメインイベントのリングに上がるも引き分け
- 2006年6月22日プロボクサー37歳定年の日に妻の地元熊本県荒尾市に二件目ジムをオープンさせ福岡県と熊本県を往復して会員指導
- 2007年9月2日熊本市で全日本新人王相手にEXマッチのリングで対戦 ・2008年5月7日熊本県ジムを福岡県ジムの2階に移転させ、ビル3階をボクシングフロア、2階をマシンフロアとしてリニューアルオープン
プロ戦績(都合により一部抜粋)
[編集]試合日 | 会場 | 結果 | 備考 | |
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1993年12月23日 | 熊本市 | 判定勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約)4回戦 判定勝 | 3戦目の相手に敵地で(3-0)の判定勝 |
1994年2月5日 | 北九州市 | 判定負け。 | フェザー級(57.1kg契約)4回戦 判定負け | 1R初のダウンを奪われ(0-3)の判定負 |
1994年4月23日 | 北九州市 | 判定負け | フェザー級(57.1kg契約)4回戦 判定負け | ファイタースタイルで戦い終始打ち合うが判定負け |
1994年12月24日 | 北九州市 | 判定勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約)4回戦 判定勝 | 前回の判定が納得できず、今度はボクサースタイルで戦い、再戦で雪辱 |
1995年6月24日 | 北九州市 | 引分 | ウェルター級(66.6kg契約)4回戦 引分 | 1998年度ウェルター級西部日本新人王相手と引分 |
1995年10月15日 | 久留米市 | 引分 | スーパーフェザー級(58.9kg契約)4回戦 引分 | 1R右フックで初のダウン奪うが終盤失速して引分 |
1996年1月7日 | 北九州市 | KO勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約) 6回戦 KO勝 | 1R右拳を骨折するも5R左フックで初のKO勝 |
1997年7月5日 | 飯塚市 | 判定負け | フェザー級(57.1kg契約)6回戦 判定負 | 日本タイトルマッチセミファイナル 2R左フックで倒し5R猛攻をかけるが(1-2)の判定負 |
1997年12月13日 | 熊本市 | KO勝ち | フェザー級(57.1kg契約) 4回戦 KO勝 | 3Rに2度ダウン奪いKO勝 相手はこの試合で引退 |
1998年5月17日 | 熊本市 | 判定勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約)6回戦 判定勝 | 前試合ダウンを奪い判定負けが納得いかず再戦 |
1998年8月16日 | 宗像市 | 判定勝ち | スーパーライト級(62.5kg契約) 6回戦 判定勝 | 日本タイトルマッチセミファイナル 1995年度西部日本新人王相手に圧勝 相手はこの試合で引退 |
1999年3月14日 | 宗像市 | KO負け | ライト級(60kg契約) 6回戦 KO負 | 1998年全日本ウェザー級新人王相手に初のKO負け 相手は2002年9月に日本フェザー級チャンピオンに輝く |
1999年7月18日 | 宗像市 | 判定負け | スーパーフェザー級(58.9kg契約) 6回戦 判定負 | 1R左フックで倒すが納得のいかない判定負 |
1999年10月10日 | 宗像市 | 判定負け | スーパーフェザー級(58.9kg契約) 8回戦 判定負 | TVQでドキュメント放送されるも再戦は完敗 |
1999年11月28日 | 都城市 | 判定負け | ライト級(60kg契約) 6回戦 判定負 | 1998年西日本スーパーフェザー級新人王に判定負 しかし相手は、この試合で引退 |
2000年4月16日 | 静岡 | 判定勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約) 8回戦 判定勝 | 実力者相手に敵地で圧勝 相手はこの試合で引退 |
2000年7月17日 | 広島 | 判定勝ち | スーパーフェザー級(58.9kg契約) 6回戦 判定勝 | 1Rは左フック、5Rは右フックで倒し判定勝。相手はこの試合で引退 |
2001年7月15日 | 岡山 | TKO負け | ライト級(60kg契約)8回戦 TKO負 | 日本ランキング4位の選手に7Rレフリーストップ |
2001年11月11日 | 岡山 | 判定負け | ライト級(60kg契約) 10回戦 判定負 | 世界タイトルマッチの前座で初の10回戦 9戦全勝の相手 |
2002年9月29日 | 熊本 | 引分 | ライト級(61.2kg契約) 6回戦 引分 | 2001年度ライト級西日本新人王相手に引分 |
2003年3月24日 | 東京 | 判定負け | スーパーライト級(62kg契約) 8回戦 判定負 | 日本ランキング6位の選手に判定まで粘る 相手は次戦KO勝ちで日本チャンピオンに輝く |
2003年7月14日 | 東京 | TKO負け | ライト級(61.2kg契約) 8回戦 TKO負 | 日本ランキング8位の選手に最終回出血負け |
2005年7月10日 | 周南 | TKO負け | スーパーフェザー級(58.5kg契約) 8回戦 TKO負 | 西部日本タイトルマッチはレフリーストップ負け |
2005年11月21日 | 広島 | 引分 | スーパーフェザー級 (58.9kg契約) 6回戦 引分 | ラストファイトは不完全燃焼の引分け |