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魯鐸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

魯 鐸(ろ たく、1458年 - 1524年)は、明代学者官僚は振之。本貫沔陽州景陵県

生涯

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1502年弘治15年)、進士に及第し、会元となった。翰林院庶吉士に任じられた[1]1504年(弘治17年)、翰林院編修に進んだ[2]1505年(弘治18年)、ベトナム黎朝に対する使節をつとめた。

1507年正徳2年)、国子司業に転じた。1515年(正徳10年)、南京国子祭酒に抜擢された[3]1516年(正徳11年)、国子祭酒となった[4]1517年(正徳12年)、病を理由に帰郷した。

1522年嘉靖元年)、刑部尚書林俊の推薦により、南京国子祭酒に起用された。1523年(嘉靖2年)、致仕を請願した。1524年(嘉靖3年)、死去した[5]。享年は67。は文恪といった。著書に『魯文恪公集』10巻・『已有園稿』2巻・『已有園続稿』1巻[6]があった。

脚注

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  1. ^ 談遷国榷』巻44
  2. ^ 『国榷』巻45
  3. ^ 『国榷』巻49
  4. ^ 『国榷』巻50
  5. ^ 沈佳『明儒言行録続編』巻1
  6. ^ 黄虞稷『千頃堂書目』巻21

参考文献

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  • 明史』巻163 列伝第51