魚浚善
魚 浚善(オ・ジュンソン、朝鮮語: 어준선、1937年5月5日 - 2022年8月4日)は、大韓民国の実業家、政治家。安国薬品会長・名誉会長、第15代韓国国会議員を歴任した[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の忠清北道報恩郡炭釜面出身。大田高等学校、中央大学校経済学科卒。ソウル大学校経営大学最高経営者課程修了(第14期)。ソウル薬品派遣管理理事・営業常務理事を経て、1969年に安国薬品を1億ウォン台で買収して[2][3]、同社代表取締役会長を務めた。他は韓国青年会議所研修院長、大韓薬品工業協同組合理事長、韓国製薬協会諮問委員、安国薬品名誉会長、第15代国会財政経済委員・保健福祉委員、第2期労使政委員会委員、自民連忠清北道党委員長、IMFによる韓国救済時の経済聴聞会特別委員会幹事委員、国会予算決算特別委員会委員・企業構造調整および失業対策委員会幹事委員を務めた。第13代総選挙から第16代総選挙までの間に毎回の総選挙に報恩・沃川・永同選挙区から出馬したが、1996年の第15代総選挙だけで自由民主連合の候補として当選した[1][4][5][6][7]。アジア通貨危機の時は国会議員として、韓国国内の企業が安値で外国に売られるのを防ぐ「資産再評価法改正案」を発議し、通過させた。また、医薬分業による市場の混乱を最小化するため、同制度の施行を1年間延期させた[8][2]。2000年の第16代総選挙では自民連の候補を朴俊炳に譲って無所属で出馬したが、落選したため政界を引退し、会社の経営に専念したほか、故郷の報恩郡の学生の奨学事業も行った[2][9]。
2022年8月4日早朝、持病により死去した。享年85[8][2]。
エピソード
[編集]朝鮮末期の政治家の魚允中とは親等がかなり離れる遠い親戚だが、同姓で出身地も近い同郷であるため、両家族は親戚のような間柄である。魚浚善の祖父は三升面にある魚允中の1人息子の魚英善の家庭教師を務めた。また、魚浚善が中央大学校在学中、魚允中の孫の魚江のソウル市黒石洞の自宅に下宿をした[9]。
大韓薬品工業協同組合理事長在任中、華城市にある郷南製薬工業団地を造成し、入居企業にKGMP施設を導入させたことに貢献をした[10]。
1975年、東亜日報で広告弾圧事件が発生した時、中央情報部に呼び出されても、同社の広告の正当性を主張して屈服しなかったため、政府の弾圧を受けた[2]。
魚の下で、安国薬品は常に新薬の開発に注力していた。2006年発売の高血圧治療薬はファイザーがノルバスクの特許を侵害したとして訴えられたが、2年間の審理を経て安国薬品側が勝訴した。2010年代には医薬品開発以外に、バイオ分野にも参入した[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年12月22日閲覧。
- ^ a b c d e f “故 어준선 안국약품 명예회장은 누구인가? - 헬스코리아뉴스”. 헬스코리아뉴스 (2022年8月4日). 2024年12月22日閲覧。
- ^ “安國藥品(안국약품)을 매도”. NAVER Newslibrary. 매일경제 (1969年8月23日). 2024年12月22日閲覧。
- ^ “제13대 국회의원선거 충북 보은군옥천군영동군 국회의원 어준선 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年12月22日閲覧。
- ^ “제14대 국회의원선거 충북 보은군옥천군영동군 국회의원 어준선 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年12月22日閲覧。
- ^ “제15대 국회의원선거 충북 보은군옥천군영동군 국회의원 어준선 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年12月22日閲覧。
- ^ “제16대 국회의원선거 충북 보은군옥천군영동군 국회의원 어준선 선전벽보” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年12月22日閲覧。
- ^ a b “어준선 안국약품 명예회장 별세” (朝鮮語). 매일경제 (2022年8月4日). 2024年12月22日閲覧。
- ^ a b “2월17일, 116년 전 오늘… 여장한 어윤중 “꽃가마 피습 당해 죽었다”” (朝鮮語). 충북인뉴스 (2012年2月16日). 2024年12月22日閲覧。
- ^ “어준선 전 의원”. 보은신문 (2001年5月19日). 2024年12月22日閲覧。