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魚歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
魚歌
著者 斎藤史
発行日 日本の旗1940年8月
日本の旗 日本
言語 日本語
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魚歌』(ぎょか、ぐろりあ・そさえて、1940年8月)は、日本の歌人斎藤史の最初の個人歌集。装幀は棟方志功。序文は前川佐美雄。本文148頁、歌数373首。

概要

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歌集名「魚歌」は、「魚歌水心」(魚は深い水の心を知らず、いい加減な歌を吐く)という成語に由来する[1]1932年から1940年までの作品が収録されている。表現技法は、モダニズム的な象徴表現と伝統的な写実表現が混在する[2]。内容は、西欧趣味的なもの、二・二六事件に関わるものなどがある。しばしば引用される歌に次のようなものがある。

  • はとばまであんずの花が散つて来て船といふ船は白く塗られぬ
  • 遠い春湖(うみ)に沈みしみづからに祭りの笛を吹いて逢ひにゆく
  • 濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ
  • (ぬか)の真中(まなか)に弾丸(たま)を受けたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや

評価

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刊行当時、萩原朔太郎保田与重郎ら、歌壇外の詩人や評論家から好評を得た[3]。この歌集、及び同年刊行の合同歌集『新風十人』(佐美雄らとの共著)により、史は新進歌人として認められることになった。著名な歌集であり、その収録歌は、昭和短歌のアンソロジーには必ず収められる。西欧趣味的な軽い内容の歌から二・二六事件を主題とする重い内容の歌への展開に、昭和前期の時代の推移を重ねて読む評者[4]もいる。

脚注

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  1. ^ 歌壇』1995年8月号掲載のインタビュー記事「この人に聞く」における史本人の発言。インタビューアーは歌人水原紫苑
  2. ^ 筏井嘉一「二通りの歌ひ方」(『日本歌人』1941年3月)。
  3. ^ 『日本歌人』1941年3月、特集「斎藤史歌集批評」。
  4. ^ 佐伯裕子『斎藤史の歌』(雁書館、1998年2月)、三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店、2005年7月)。