矢口高雄
矢口 高雄 | |
---|---|
本名 | 髙橋 髙雄 |
生誕 |
1939年10月28日 日本・秋田県雄勝郡西成瀬村 (現:横手市増田町) |
死没 |
2020年11月20日(81歳没)[1][2][3] 日本・東京都 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家・随筆家 |
活動期間 | 1969年 - 2020年 |
ジャンル | 青年漫画・釣り漫画 |
代表作 | 『釣りキチ三平』 |
受賞 |
第5回講談社出版文化賞(『釣りキチ三平』『幻の怪蛇バチヘビ』) 第5回日本漫画家協会賞大賞 (『マタギ』) |
公式サイト | 矢口高雄公式サイト |
矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 2020年11月20日[1][2])は、日本の漫画家・エッセイスト。株式会社矢口プロダクション代表取締役。本名:高橋 高雄(たかはし たかお、戸籍上は「高」が異体字(はしご髙)で髙橋 髙雄[4])。血液型A型。
自然の中での生活をテーマにした作品を描き、代表作の『釣りキチ三平』、『幻の怪蛇バチヘビ』で、釣りとツチノコブームを起こした。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(後の平鹿郡増田町狙半内、現在の横手市増田町狙半内)出身[5]。町の中心部から20km離れた山村に生まれ、自然に囲まれて育つ。この子供時代の生活が、後に漫画の題材となった。
4歳の時に、母親に読み聞かせてもらった宮尾しげをの『西遊記』や田河水泡の『のらくろ』で漫画に接し、以来無類の漫画好きになる。特に手塚治虫の『流線型事件』『メトロポリス』に強い影響を受け、手塚が連載する漫画雑誌を買うために杉皮背負いのアルバイトで小遣いを稼ぐほどであった。また漫画を読む一方で自ら描く事にも興味を持ち、手持ちの漫画の模写をするようになり、手塚に手紙を出して、予想外の返事を受けて感激した[6]。
中学生時代に生徒会長を務め、秋田県立増田高等学校を卒業する。
就職後に漫画執筆
[編集]地元の羽後銀行(合併を経て、現在は北都銀行。その縁から合併直前の時期には釣りキチ三平が同行のキャラクターとなっていた。)に入行。当初は銀行員としての仕事をこなすので精一杯であったが、ある日、同僚が読んでいた『ガロ』に強い影響を受け、再び漫画を描き始める。1966年頃から漫画誌の編集部へ自作品の投稿を繰り返すが、よい返事はなかった。
1968年の夏期休暇で上京し、『ガロ』の編集部へ落選した原稿を改めて持ち込み批評を頼むと、編集長である長井勝一から「絵がヘタである」と否定的な評価を得る。この時水木しげるの職場に案内されるが、水木は矢口の漫画を高く評価[注 1]、池上遼一、つげ義春ら水木プロの面々からも様々なアドバイスを受ける。
漫画家デビュー
[編集]1969年、『ガロ』で入賞作の『長持唄考』[8]が掲載され、アマチュア作家として本名でデビュー。
読み切り作品を数作掲載の後1970年に銀行を退職し、妻と娘2人を郷里に残して単身上京、この際妻からは反対はなく、むしろ「早速東京に引っ越しね」と言われたという[9]。『ガロ』の原稿料だけでは生活できず、長井に紹介された『週刊少年サンデー』で読み切り作品『鮎』が採用されメジャー誌デビューとなる。
同年、梶原一騎原作の『おとこ道』を同誌で連載開始。当時30歳と漫画家としては遅めのスタートだったが、自身の趣味である釣りの経験を基にした『釣りキチ三平』(昭和版)を週刊少年マガジンで連載開始すると「釣り」ブームが巻き起こり、一躍人気作家となった。
同作の完結後は、野生生物や自然を題材とした中編作品の連載と並行して、自身の半生を年代順に自叙伝形式で描いた「オーイ!!やまびこ」「蛍雪時代」「9で割れ!!」の連載や、エッセイ「ボクの学校は山と川」「ボクの先生は山と川」の執筆・発売を行った。1989年に敬愛する手塚治虫が逝去すると、大いに悲嘆した[6]。
後年の活動
[編集]1995年には出身地の増田町で画業の功績を称えられ町営(現:横手市営)の横手市増田まんが美術館が開館し名誉館長に就任。2003年には石ノ森章太郎と生前交わした約束から石ノ森萬画館の館長(2代目)を歴任。
2001年から『釣りキチ三平 平成版』を連載していたが気力、体力の限界から筆を置き未完となっている[10]。また、2003年4月からは自身の公式ホームページ上で、身の回りの出来事をエッセイ風に綴る日記(ブログ)「矢口高雄の独り言」を掲載している。
2020年11月20日、膵臓がんにより東京都内の病院で死去[1][2][3]。81歳没。
人物
[編集]ペンネームは初連載作品である『おとこ道』の原作者梶原一騎の発案によるもので、居住地の最寄り駅である大田区矢口渡駅から抜き出した[11]。
矢口は梶原一騎に対し「先生の原作のおかげで、どれだけドラマ作りやセリフの勉強をさせてもらったかわかりませんよ」と語っている。梶原には「いやあ、君はいいね。いつもへりくだっている。それが人生で一番大事なことなんだ。その気持ちを忘れるなよ」と言われたそうである[12]。
手塚治虫とは、映画『スター・ウォーズ』の日本での試写会(1978年)の際、たまたま席が隣同士となったことがある。手塚は日本公開の前にアメリカで同作品を見ていたため、矢口に対しても途中でネタバレの内容を喋ってしまうが、後に娘に対し「手塚先生の解説付き『スター・ウォーズ』なんて、こんな素晴らしい体験があるものか」と語ったという[9]。
故郷である横手市増田町にある横手市増田まんが美術館にて、矢口は美術館の初代名誉館長に就任。同館で催されるイベントにも度々参加し、市内外から訪れる人々との交流を積極的に行った。矢口の死後、同美術館では名誉館長不在の状況が続いたが、矢口の出生地の隣村にあたる秋田県東成瀬村出身の漫画家、高橋よしひろが二代目名誉館長に就任した。[13]
学校教科書への採択
[編集]矢口が書いたエッセイ集「ボクの学校は山と川」(単行本初版1987年(昭和62年)9月)は発売されるや否や教育関係者の注目を浴びるところとなった。まずNHKラジオ第一の朗読番組「私の本棚」に採用され、毎日15分間、12回に渡って朗読放送された[15]。続いて「ボクの学校は山と川」は全国学校図書館協議会主催の第34回青少年読書感想文全国コンクールの高校生の課題図書に選定された[16]。
またそれまで時々「マンガについて」「釣り」などのテーマで講演依頼があったが、この2冊のエッセイを出版して以来、これらのテーマに加えて「河川や水を通した環境問題」や「村おこし、町づくりをテーマとした農業問題」、ついには「教育問題」をテーマとする講演依頼が異常に増えた。岡山県備前市で行われた学校図書館協議会主催の研究会では、学校図書館に携わる教員500名を前に「マンガは若者に支えられた文化である。この素晴らしいパワーをぜひ教育の場に取り入れてほしい。先生方にもマンガを読み、研究しその利点を教室で生かしてほしい」と講演した[17]。
更に学校用教科書の出版社から教科用図書・高校教科書への採択依頼が相次ぎ、1990年版に以下の作品が採択された。
- 「カジカの夜突き」中学1年国語 教育出版
- 「にくい青虫」中学1年国語 教育出版
- 「あけびとり」高校1年英語 三友社出版
- 「バチヘビ始末」中学2年国語 教材文理
- 「底なし沼の極小トンボ」高校1年国語 尚学図書
- 「心のかけ橋」小学5年道徳 学習研究社
- 「弟の死」中学3年道徳 大阪書籍
- 「校門を掘る子」中学3年道徳 光村図書[18]
矢口のエッセイ文を教科書に採択するに当たり、ある教科書出版社社員が「ご専門であるイラストもお願いしたい」と矢口に伝えると、「ボクに1ページください。関連したイラストを、その1ページにマンガでやらせてください。教科書にマンガです。中学時代からの夢だったんです。いいえ、描かせてもらえるなら原稿料なんかいりません。お願いします」と逆に頼み込んだ。出版社は矢口からの依頼を承諾し、矢口の描いたマンガ付き教科書は文部省の教科書検定を見事通過し、国語の教科書にマンガを載せることに成功した[19]。
その後も矢口作品の教科書採択は続き、1996年度の東京書籍「新しい社会」下巻(小学5年社会科)には大判の教科書に見開きで、釣りキチ三平が釧路湿原の近くでイトウを釣っている迫力満点のイラストが掲載された[20]。
受賞歴
[編集]- 1974年 - 第4回講談社出版文化賞 児童まんが部門受賞(『釣りキチ三平』、『幻の怪蛇バチヘビ』)
- 1976年 - 第5回日本漫画家協会賞大賞受賞(『マタギ』)
- 2009年 - 平成21年度地域文化功労者 表彰
主要作品
[編集]- おとこ道(原作:梶原一騎、1970年 - 1971年、週刊少年サンデー)
- マタギ列伝(1972年 - 1974年、トップコミック(秋田書店))
- 釣りバカたち(1972年 - 1983年、週刊漫画アクション)
- 幻の怪蛇バチヘビ(1973年、週刊少年マガジン)
- おらが村(1973年 - 1975年、漫画アクション)
- 釣りキチ三平(1973年 - 1983年、週刊少年マガジン)
- 釣りキチ三平 平成版(2001年 - 、矢口作品のみを掲載したプライベートコミック雑誌『平成版 釣りキチ三平』(名目上 週刊少年マガジン増刊号扱い)で連載後、KCデラックスから単行本化される。)
- マタギ(1975年 - 1976年、週刊漫画アクション)
- かつみ(1976年 - 1977年、週刊少年サンデー)
- ニッポン博物誌(1977年 - 1979年、週刊少年サンデー)
- 劇的十二支考(1983年 - 1984年、コミックモーニング)
- ふるさと(1983年 - 1985年、週刊漫画アクション)
- オーイ!!やまびこ(1988年 - 1990年、毎日中学生新聞、毎日新聞社から単行本化・講談社文庫) - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。子供時代を描いた自伝的な作品
- ボクの手塚治虫(1989年、毎日新聞社)
- 激濤 Magnitude 7.7(1989年 - 1990年、ビッグコミック)
- 蛍雪時代(1993年 - 1995年、しんぶん赤旗日曜版、講談社から単行本・講談社文庫化) - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。中学校時代を描いた自伝的な作品
- 9で割れ!!―昭和銀行田園支店(1993年 - 1995年、小説中公,2008-2009年に未完部分を平成版 釣りキチ三平で書き下ろし連載し完結。講談社文庫版で纏められた。) - 漫画家デビュー前の経緯を描いた「昭和三部作」の一つ。銀行員時代を描いた自伝的な作品
- 野性伝説(原作:戸川幸夫、1995年 - 1998年、月刊ビッグゴールド(小学館))
- 収録作「爪王」「羆風」「北へ帰る」「飴色角と三本指」
- マンガ日本の古典 25巻「奥の細道」(原作:松尾芭蕉、1995年、中央公論社) - 2001年に文庫版、2022年にワイド版が出る。
- LOVE FISH三平クラブ(1998年 - 1999年、コミックアルファ(メディアファクトリー))
- バスボーイQ(1999年 - 2002年、Crazy Bass(双葉社から刊行されていたバスフィッシング雑誌))
- トキ(1976年、笠倉出版社刊、2011年3月に復刊ドットコムから単行本として復刊)
その他
[編集]派生作品
[編集]- テレビアニメ「釣りキチ三平」(フジテレビ、1980年4月7日 - 1982年6月28日、全109話)
出演
[編集]テレビ番組
[編集]- TVチャンピオン(テレビ東京)
- 「少年マンガ王選手権」1999年7月1日 - 挑戦者が仕事場を訪れ、出題が行われた。
- 「魚通選手権」2001年2月22日 - 出題用の画を描いた(解答者の中にはさかなクンがいた)。
- 遠くへ行きたい 第1526回 「矢口高雄 奥能登 潮騒遥か魚三昧(石川県 輪島市〜珠洲市)」[21](2000年11月26日 読売テレビ)
- 課外授業 ようこそ先輩「ふるさとって何ですか」(2002年4月14日 NHK) - 小学生を相手に特別授業を行った。
CM
[編集]- 1982年 『ひとりから、みんなへ』公共広告機構(現:ACジャパン)
アシスタント
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “訃報・会員 矢口高雄先生”. 一般社団法人マンガジャパン (2020年11月25日). 2024年10月28日閲覧。
- ^ a b c @yaguchi_takao (2020年11月25日). "矢口の次女 かおるです。父・矢口高雄は11/20に家族が見守るなか、眠るように息を引き取りました。". X(旧Twitter)より2024年10月28日閲覧。
- ^ a b “『釣りキチ三平』矢口高雄さん死去 81歳 すい臓がんで闘病”. オリコン. オリコンニュース (2020年11月25日). 2020年11月26日閲覧。
- ^ 2002年9月「ふるさとって何ですか 課外授業ようこそ先輩 別冊」KTC中央出版
- ^ “横手市狙半内”. あきた元気ムラ. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b 『ボクの手塚治虫』(講談社文庫)より。
- ^ 水木しげる『ボクの一生はゲゲゲの楽園だ マンガ水木しげる自叙伝』 6巻、(eBook版)、2001年10月、136頁。ISBN 978-4-0633-0140-3。
- ^ 少年サンデーコミックス版「かつみ」3巻では『長持唄裁判』と改題されて収録
- ^ “漫画家・矢口高雄(1)40年ぶりに「マタギ」問う”. 産経ニュース. 産経新聞 (2017年12月25日). 2020年11月26日閲覧。
- ^ 『オーイ!! やまびこ』6巻収録「名前の付け方」
- ^ 以上のエピソードは、斎藤貴男著『夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎』による。
- ^ 横手市増田まんが美術館公式ホームページに記載
- ^ @yaguchi_takao (2019年6月23日). "ボクは井上陽水の大ファンで、東京と横浜で3日間コンサートがあれば全てのチケットをゲットして聴きほれる。". X(旧Twitter)より2020年11月26日閲覧。
- ^ 講談社文庫 ボクの先生は山と川(あとがき(1988年4月15日)より)
- ^ “過去の課題図書 第31回~第40回(1985年度~1994年度)”. 全国学校図書館協議会. 2020年11月26日閲覧。
- ^ 「ボクの先生は山と川」あとがきおよび解説、自選 釣れづれの記 「連載最終回によせて」「千曲川の鮎つり」「身辺雑記」 より
- ^ 1993年8月発行 講談社文庫 ボクの学校は山と川(あとがきの 文庫版によせて)より および 講談社文庫 ボクの先生は山と川(文庫化にあたって(平成7年6月15日))より
- ^ 1993年8月発行 講談社文庫 ボクの学校は山と川(解説より)および 講談社文庫 ボクの先生は山と川(あとがき(1988年4月15日)より)
- ^ 「ボクの先生は山と川」解説より
- ^ “第1526回 矢口高雄 奥能登 潮騒遥か魚三昧”. テレビマンユニオン、読売テレビ. 2020年11月26日閲覧。
参考文献
[編集]この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
- 矢口高雄:『ボクの手塚治虫』(1989年、毎日新聞社、ISBN 978-4-6207-7040-6)
- 矢口高雄:『ボクの手塚治虫』講談社文庫(1994年、講談社、ISBN 978-4-0618-5582-3)
- 矢口高雄:『マンガ万歳ー画業50年への軌跡』(2020年9月28日、秋田魁新報社、ISBN 978-4-8702-0414-0)
- 藤澤志穂子:『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』、世界文化社、ISBN 978-4-4181-9501-5(2020年12月19日)。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 矢口高雄公式サイト
- 矢口高雄 (@yaguchi_takao) - X(旧Twitter)
- 矢口高雄 - NHK人物録
- 産経新聞インタビュー記事 話の肖像画 全5回(2017年12月25日 - 29日)
- (天声人語)矢口高雄さん逝く(朝日新聞 2020年11月27日)
- マンガ家矢口高雄が最後に憂えた「マンガ原画保存」横手市増田まんが美術館が目指す“原画の殿堂”(JBpress、2021年2月21日記事)