高麗聖雲
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高麗 聖雲(こま の しょううん、生没年不詳)は、奈良時代の僧。高句麗王族の高麗王若光の三男とされる。寺念僧・勝楽上人の弟子。
高句麗の僧・勝楽は聖雲の父とされる高麗若光を弔うため、高句麗から自ら携えてきた念持仏「聖天歓喜仏」を本尊とする寺院を建立しようとしたが、天平宝字3年(751年)に死去した。勝楽の弟子・聖雲は、やはり勝楽の弟子となった聖雲の甥の弘仁(兄の家重の子)とともにその遺志を継ぎ、法相宗の聖天院勝楽寺を建立し、師を境内に埋葬した。
聖天院
[編集]聖天院を参照。
埼玉県日高市にある寺院。正式名称を高麗山聖天院勝楽寺と称した。1345年に秀海上人が法相宗から真言宗に改める。天正8年(1580年)には第25世の円真上人が本尊に不動明王を勧請し、もとの本尊の聖天歓喜仏は脇侍とした。