高須治輔
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高須治輔(治助)(たかす じすけ、安政6年11月23日(1859年12月16日) - 明治42年(1909年)3月[1])は、明治期の官吏、通訳、ロシア語翻訳家。
経歴
[編集]秋田藩江戸詰め富岡英之助の次男として江戸に生まれ、明治6年(1873年)蘭医高須保の養子となる[2]。号は五湖。東京外国語学校ロシヤ語科に入るが明治13年(1880年)中退。海軍省、陸軍に務めるかたわら、ロシア語の翻訳に従事。プーシキン『大尉の娘』を明治24年(1891年)『花心蝶思録』として翻訳、ロシア文学翻訳のさきがけとなった[3]。
編著
[編集]翻訳
[編集]- プシキン『花心蝶思録 露国奇聞』高須治助訳 法木書屋 1883
- ジュールス・ヴェルネー『地底旅行 拍案驚奇』三木愛華 (貞一),高須治助訳 九春堂 1885
- テレンチエフ『中央亜細亜露英関係論』鳳文館 1885
- マホチーヌイ『馬術警策』九春堂 1885
- ワシリチコフ『独米英仏教育比較摘要』九春堂 1887
- ボブロフスキイ『初等教育学』金港堂 1890
- 『初等鉱物学』学令館 1891
- ペローフ『露国教育法』普及舎 1891
- 『真宗略解及本願寺殿堂の紀事』林虎之助 1899