高野直満
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高野 直満 | |
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生誕 |
1889年6月30日 日本 石川県 |
死没 | 1966年12月18日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
高野 直満(たかの なおみつ、1889年(明治22年)6月30日[1] - 1966年(昭和41年)12月18日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1937年(昭和12年)10月22日に第108師団参謀長に就任し[2]、11月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。日中戦争に出動し、石家荘会戦では宋哲元軍を撃砕し、潞安・臨汾を攻略した[1]。1938年(昭和13年)に留守第8師団参謀長を経て[2]、1939年(昭和14年)に歩兵第18連隊長(第11軍・第3師団・歩兵第29旅団)に就任し[1][2]、中国戦線に復帰。信陽に駐屯し、宜昌作戦、漢水作戦、長沙作戦に参戦した[1]。
1940年(昭和15年)12月に陸軍少将に進級し[2]、仙台陸軍教導学校長に就任[1]。1942年(昭和17年)8月に第16歩兵団長(第14軍・第16師団)に就任し[1]、フィリピン・ロスバニオスの守備に当たった[1]。1943年(昭和18年)に第42師団司令部附を経て[1]、1944年(昭和19年)2月10日に留守第4師団兵務部長に就任し[1]、6月10日に陸軍中将に進級した[2]。7月8日に留守第4師団長を経て[1]、1945年(昭和20年)4月1日に第144師団長に親補され[1]、和歌山県に展開した[1]。同年10月3日には近畿上陸地支局長に就任[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。