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高野源之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高野 源之助(たかの げんのすけ、1848年5月28日嘉永元年4月26日[1])- 1907年明治40年)6月15日[2])は、幕末会津藩士明治期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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陸奥国会津郡若松城下で会津藩士の息子として生まれる[3]。漢学、武術、英蘭学を修めた[2]戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦い、東北の戦闘に従軍[2]

1873年小樽に渡り船舶回漕業を営んだ[2][3]1890年8月、小樽総代人に選出された[3]。その後、小樽区会議員北海道会議員を務めた[2][3]1903年3月、第8回衆議院議員総選挙に北海道庁小樽区から出馬し当選。交友倶楽部に所属し衆議院議員を一期務めた[2]

その他、小樽商業会議所会頭、北海道拓殖銀行創立委員、小樽米穀外五品取引所監査役、小樽銀行取締役、北海木材 (株) 監査役、北海生命保険 (株) 社長、北海道鉄道 (株) 取締役、大同生命保険 (株) 取締役、小樽電燈合資会社執行社員なども務めた[2][3]

1907年6月、病のため死去した[3]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、30頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』376頁。
  3. ^ a b c d e f 『北海道人名辞書』204頁。

参考文献

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  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 金子郡平・高野隆之編『北海道人名辞書』北海道人名辞書編纂事務所、1914年。