高野正子
表示
高野 正子(たかの おさこ、1774年(安政3年) - 1846年12月5日(弘化3年10月17日))は、光格天皇の典侍。父は大蔵卿の高野保香。養父は権大納言の園基理。法号は天香院[1]。
1792年(寛政4年)に光格天皇の宮廷に入り、典侍を経て大典侍となる。天皇譲位の後は上皇の上臈となって新大納言と呼ばれるようになった。天皇との間には1皇子(猗宮)を生んだが夭折する[2]。
1846年12月5日(弘化3年10月17日)、死去。享年73。法号は天香院[2]。
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |