コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高野宗順

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高野宗順
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 安政元年12月26日[1]1855年2月12日
死没 大正10年(1921年5月5日[1]
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 松木家高野家
父母 父:松木宗有、母:葉室孝子(葉室顕孝の二女)
養父:高野保誠
兄弟 宗順松木宗隆
先室:奈代(伊藤徳右衛門の長女)
後室:唐橋末子(唐橋在光の四女)
宗正
テンプレートを表示

高野 宗順(たかの むねおさ)は、幕末公家明治期の宮内官、政治家華族貴族院子爵議員。旧姓は松木[1]

経歴

[編集]

山城国京都左近衛中将松木宗有の二男として生まれる[1][2][3][4]安政4年4月1857年4-5月)、従五位下に叙された[2]慶応元年10月1865年11-12月)侍従に任じられ、明治2年2月1869年3-4月)従四位上に叙されたが、1879年(明治12年)4月、病のため松木家廃嫡となり位記返上を命ぜられた[2][3]1880年(明治13年)5月、京都府雇・庶務課勤務となり、以後、京都府等外二等出仕、京都府九等属、宮内属、東華銀行取締役などを務めた[2][3][5]。先代の子爵高野保誠死後に養子となり、1890年(明治23年)9月16日、子爵を襲爵した[1][2][3][4][6]

1896年(明治29年)10月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]1911年(明治44年)7月9日まで3期在任した[5]。高野子爵家は負債が多く[9]1912年(明治45年)2月16日、華族礼遇が停止され[10]、同年12月16日に失爵[11]正四位返上を命じられ[12]勲四等を褫奪された[13]

系譜

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』24頁。
  2. ^ a b c d e 『大日本華族大鑑』96頁。
  3. ^ a b c d 『大日本人物誌』た95頁。
  4. ^ a b 『人事興信録 第3版』た133頁。
  5. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』46頁。
  6. ^ 『官報』第2167号、明治23年9月17日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、6頁。
  8. ^ 『官報』第3987号、明治29年10月10日。
  9. ^ 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』70頁 2006年 中央公論新社
  10. ^ 『官報』第8605号、明治45年2月28日。
  11. ^ 『官報』第125号、大正元年12月28日。
  12. ^ 官報 1912年12月28日 七四〇頁
  13. ^ 官報 1913年3月28日 五九三頁
  14. ^ 『松木家譜』1875年。東京大学史料編纂所所蔵。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
高野保誠
子爵
高野家3代
1890年 - 1912年
次代
失爵