高遠頼宗
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高遠 頼宗(たかとお よりむね、? - 天文11年(1542年)9月)は、戦国時代の武将。高遠満継の子で、高遠城主・高遠頼継の弟。蓮峰軒と号。
天文11年(1542年)、高遠頼継は甲斐国の武田晴信(信玄)と同盟して、諏訪本家の諏訪頼重を攻め、同年7月5日に頼重・頼高は甲斐国・甲府へ連行され、7月21日に頼重・頼高は自害した。『神使御頭之日記』によれば、同年9月10日に兄・頼継はその跡を継ごうとして挙兵し、諏訪西方衆らを結集し、諏訪郡を制圧した。これに対し、武田氏は頼重の遺児である千代宮丸を擁立して諏訪郡へ侵攻し、諏訪一族を迎合した。
同年9月25日、両軍は宮川橋で衝突し(安国寺の合戦)、頼継方は敗北する。頼継は高遠へ逃れるが、この戦いにおいて頼宗は討死した。