高賀茂諸雄
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 諸魚 |
官位 | 正五位下・三河守 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 賀茂朝臣→高賀茂朝臣 |
父母 | 父:賀茂虫麻呂[1] |
兄弟 | 諸雄、円興、田守、萱草 |
妻 | 小野石根娘・石子 |
子 | 賀茂人麻呂 |
高賀茂 諸雄(たかかも の もろお)は、奈良時代の貴族。名は諸魚とも記される。氏姓は賀茂朝臣のち高賀茂朝臣。官位は正五位下・三河守。
経歴
[編集]近衛将監を経て、天平神護元年(765年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵。兄弟の円興が道鏡政権の一翼を担う中で、神護景雲2年(768年)従五位上、神護景雲4年(770年)正五位下と、称徳朝にて順調に昇進する一方、員外少納言などを務めた。またこの間の神護景雲2年(768年)には高賀茂朝臣に改姓している。
光仁朝の後半は神祇大副・兵部大輔と京官を務める。桓武朝に入ると天応2年(782年)尾張守と地方官に転じ、延暦5年(786年)中宮亮として京官に復すが、延暦8年(789年)三河守と再び地方官に転じた。なお、光仁朝から桓武朝にかけてほぼ20年の長きに亘って昇進は叶わず、位階は正五位下のまま留まっている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位下、近衛将監
- 天平神護元年(765年) 閏10月7日:従五位下
- 天平神護2年(766年) 3月26日:兼伊勢員外介
- 神護景雲2年(768年) 10月20日:従五位上。11月26日:高賀茂朝臣に改姓
- 神護景雲3年(769年) 11月28日:員外少納言
- 神護景雲4年(770年) 7月20日:正五位下
- 宝亀2年(771年) 7月23日:員外少納言
- 宝亀8年(777年) 10月13日:神祇大副
- 宝亀9年(778年) 2月23日:兵部大輔
- 天応2年(782年) 6月20日:尾張守
- 延暦5年(786年) 10月8日:中宮亮
- 延暦8年(789年) 2月4日:三河守