高良斎
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高 良斎(こう りょうさい、1799年6月22日(寛政11年5月19日) - 1846年11月1日(弘化3年9月13日))は、日本・江戸時代の医学者、蘭学者。
経歴
[編集]江戸時代後期の1799年(寛政11年)、阿波国(現:徳島市常三島町)・徳島藩中老の伊蔵好直のもとに生まれるが、生後間もなく眼科医の高錦国の養子に出された。
「本草学」を乾純水から学び、医学(主に眼科)を養父である高錦国から学んだ。19歳の時には長崎に出てシーボルトや吉雄権之助に従事して西洋医学を修めた。1826年(文政9年)にはシーボルトの江戸行きに随行し、その後シーボルト事件に連座して一時蟄居させられることになった。
シーボルトの信任篤く、シーボルトが長崎を退去する際には、二宮敬作と共に遺児の楠本イネの養育のことを託された。その後、故郷に戻ったあと、大坂にて眼科を開業。大名の病を診て天下の名声を得た。1846年(弘化3年)、脳出血にて48歳で没した。字は子清、良斎、輝淵。
墓所は豊島区駒込の染井霊園と徳島県徳島市の本覚寺。1919年(大正8年)、従五位を追贈された[1]。
著書
[編集]- 著作 - 『眼科便用』、『耳眼詳説』、『蘭法内用薬能識』、『駆梅要方』、『女科精選』
- 訳書 - 『西医新書』、『薬品応手録』
脚注
[編集]- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.49
参考資料
[編集]- 福島義一『高良斎とその時代』思文閣、1996年。ISBN 4-7842-0906-9 。