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高田露

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高田露

高田 露(たかだ あきら、嘉永7年8月13日[1]1854年10月4日) – 大正4年(1915年2月19日[2])は、衆議院議員立憲政友会)。

経歴

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肥後国託麻郡春日村[3](現在の熊本県熊本市西区)出身。熊本藩士の家に生まれ、藩校時習館竹添進一郎に学んだ[2]。その後、大阪に出て開成所や兵学寮で学んだ[4]1874年明治7年)に台湾出兵に従軍した[2]。帰国後は民権党を結成し、評論新聞記者・近事評論記者として自由民権を主張した[4]1877年(明治10年)に西南戦争が勃発すると、宮崎八郎らとともに協同隊を組織して西郷軍に加わった。西郷軍の敗北とともに捕えられたが、やがて出獄を許された。

その後、球磨郡に開墾社を設立し、開墾事業に従事した[4]

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し当選。当選回数は合計で4回を数えた。

脚注

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  1. ^ 『第拾壱回改選 代議士銘鑑』、国華新聞社、1912年。
  2. ^ a b c 『政治家人名事典』
  3. ^ 『新選代議士列伝』P.355
  4. ^ a b c 『衆議院要覧』

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 『衆議院要覧 大正元年十二月』衆議院事務局、1912年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。