高田信頼
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生誕 | 天文19年(1550年) |
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死没 | 天正16年3月15日(1588年4月10日) |
別名 | 小次郎 |
主君 | 武田勝頼→滝川一益→北条氏直 |
氏族 | 高田氏 |
父母 | 父:高田繁頼、母:安中重繁の娘 |
妻 | 小幡憲重の娘 |
子 | 直政 |
高田 信頼(たかだ のぶより)は、戦国時代の武将。上野国甘楽郡の国衆。高田城(現・群馬県富岡市妙義町下高田)城主。
生涯
[編集]武田家臣で高田城主・高田繁頼の嫡男。諱のうち「信」の字は武田氏による偏諱と考えられている[1]。父が元亀4年(1573年)4月に先年の三方ヶ原の戦いで受けた戦傷が元で死去し[2]、翌月に主君・武田勝頼から家督相続を認められた[3]。勝頼は家督相続後に度々三河・遠江方面に出兵したが、信頼もこれに応じて各地を転戦した。その戦功を評されて天正2年(1574年)7月には上野国野辺内永安寺150貫文を宛がわれている[3]。
天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると滝川一益、次いで北条氏直に属した。後北条氏配下時代の具体的な動向は伝わっていない。同16年(1588年)に死去。享年39。法名は正伝[3]。
脚注
[編集]- ^ 平山優『戦国大名と国衆』KADOKAWA、2018年、226-232頁。
- ^ 黒田基樹「高田繁頼」『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。
- ^ a b c 黒田基樹「高田信頼」『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。