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高瀬梅盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高瀬 梅盛(たかせ ばいせい、1619年元和5年)- 1702年元禄15年)ころ)は、江戸時代前期の俳人狂歌師[1][2]。通称は太郎兵衛、別号に佗心子後に剃髪して宗入居士がある[2]貞門派内の貞門七歌仙の一人[1]

経歴・人物

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京都の生まれ[1][2]。初め安原貞室及び松江重頼から俳諧を学び[3]、後に松永貞徳の門人となる。当時活躍していた松尾芭蕉談林派の俳諧を作風を保守し、俳諧以外にも狂歌等の歌集をくの著書を執筆、刊行した[4]

晩年の1692年元禄5年)に刊行された中島随流著の『貞門永代記』について[3]、梅盛は「談林派や芭蕉の作風の流行しても貞門派の流行は衰えを知らない」と評した[3]。門人に伊藤信徳斎藤如泉らがいる[2]

主な著作物

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俳諧撰集[4]

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狂歌集[4]

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脚注

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  1. ^ a b c デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『高瀬梅盛』- コトバンク
  2. ^ a b c d 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)『高瀬梅盛』- コトバンク
  3. ^ a b c 世界大百科事典 第2版(平凡社)『梅盛』- コトバンク
  4. ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(ブリタニカ・ジャパン)『高瀬梅盛』- コトバンク