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高源寺 (行田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高源寺こうげんじ
所在地 埼玉県行田市佐間1丁目2-9
山号 天真山
宗旨 臨済宗円覚寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 天正18年(1590年
開基 守天和尚
法人番号 9030005013804 ウィキデータを編集
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高源寺(こうげんじ)は、埼玉県行田市にある臨済宗円覚寺派の寺院[1]。山号は天真山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]

歴史

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天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原攻めの際に、成田氏忍城を巡って攻城戦が繰り広げられた(忍城の戦い[1]。『忍城戦記』などによれば、家老の1人である正木利英(丹波守)[注釈 1]は城の東南に位置する「佐間口」(北緯36度8分2.69秒 東経139度27分42.36秒)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[1][3]

戦後、成田氏は蒲生氏郷に預けられることになったが、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[1][3][4]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][2]

新編武蔵風土記稿』に縁起についての文を確認できる[2]

なお、行田市の都市計画道路の建設に伴い墓地が分断されたため、市内の渡柳地区(埼玉県行田市渡柳1280)に墓地を移転した[5]。移転先は上述の忍城攻めの際、豊臣方を率いた石田三成の陣屋跡と言われている[1][5]

関連項目

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  • のぼうの城#映画 - 映画『のぼうの城』には正木利英が主要人物として登場しており、正木の後日談として移転前の高源寺が取り上げられるとともに、映画のエンディングで紹介される。

脚注

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注釈

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  1. ^ 新編武蔵風土記稿では正木丹波守勝英の表記[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h ものつくり大学横山研究室『旧成田領に残る歴史遺産』埼玉新聞社、2012年、56-59頁。ISBN 978-4878893797 
  2. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 佐間村 高源寺.
  3. ^ a b 【埼玉/行田】脚光浴びる“難攻不落の城” 城下には武者の精神が息づく(2)”. 『日経おとなのOFF』2012年11月号. 日経トレンディネット (2016年11月15日). 2017年3月28日閲覧。[リンク切れ]
  4. ^ 『るるぶ埼玉 川越 秩父 鉄道博物館’16』JTBパブリッシング、2015年、112頁。ISBN 978-4533105586 
  5. ^ a b 高源寺(こうげんじ)墓苑”. 霊園墓地の大塚. 2014年11月23日閲覧。[リンク切れ]

参考文献

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  • 「佐間村 高源寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ216埼玉郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764009/88