高源寺 (行田市)
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所在地 | 埼玉県行田市佐間1丁目2-9 |
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山号 | 天真山 |
宗旨 | 臨済宗円覚寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 天正18年(1590年) |
開基 | 守天和尚 |
法人番号 | 9030005013804 |
高源寺(こうげんじ)は、埼玉県行田市にある臨済宗円覚寺派の寺院[1]。山号は天真山[1]。本尊は阿弥陀如来[1]。
歴史
[編集]天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、成田氏の忍城を巡って攻城戦が繰り広げられた(忍城の戦い)[1]。『忍城戦記』などによれば、家老の1人である正木利英(丹波守)[注釈 1]は城の東南に位置する「佐間口」(北緯36度8分2.69秒 東経139度27分42.36秒)を守備し、豊臣方の長束正家の軍勢と戦闘を繰り広げたとされている[1][3]。
戦後、成田氏は蒲生氏郷に預けられることになったが、正木は武士の身分を捨て現地に留まると、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため佐間口付近に高源寺を建立、守天和尚を招き開山した[1][3][4]。正木は天正19年(1591年)に没するが、その墓は境内に現存している[1][2]。
なお、行田市の都市計画道路の建設に伴い墓地が分断されたため、市内の渡柳地区(埼玉県行田市渡柳1280)に墓地を移転した[5]。移転先は上述の忍城攻めの際、豊臣方を率いた石田三成の陣屋跡と言われている[1][5]。
関連項目
[編集]- のぼうの城#映画 - 映画『のぼうの城』には正木利英が主要人物として登場しており、正木の後日談として移転前の高源寺が取り上げられるとともに、映画のエンディングで紹介される。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h ものつくり大学横山研究室『旧成田領に残る歴史遺産』埼玉新聞社、2012年、56-59頁。ISBN 978-4878893797。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 佐間村 高源寺.
- ^ a b “【埼玉/行田】脚光浴びる“難攻不落の城” 城下には武者の精神が息づく(2)”. 『日経おとなのOFF』2012年11月号. 日経トレンディネット (2016年11月15日). 2017年3月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『るるぶ埼玉 川越 秩父 鉄道博物館’16』JTBパブリッシング、2015年、112頁。ISBN 978-4533105586。
- ^ a b “高源寺(こうげんじ)墓苑”. 霊園墓地の大塚. 2014年11月23日閲覧。[リンク切れ]