高浜市立高浜小学校
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高浜市立高浜小学校 | |
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北緯34度55分25.6秒 東経136度59分20.4秒 / 北緯34.923778度 東経136.989000度座標: 北緯34度55分25.6秒 東経136度59分20.4秒 / 北緯34.923778度 東経136.989000度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高浜市 |
設立年月日 | 1873年6月28日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B123210007890 |
所在地 | 〒444-1325 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高浜市立高浜小学校(たかはましりつ たかはましょうがっこう)は、愛知県高浜市青木町にある公立小学校である。
地理
[編集]高浜小学校は高浜市の中心部を学区とする[1]。学区の中央部を名鉄三河線が縦断しており、学区内には三河高浜駅と高浜港駅がある。学区のほぼ中央には高浜市役所がある。学区の南部には高浜消防署やJAあいち中央高浜支店があり、学区の北部にはおまんと祭りで知られる春日神社がある。
歴史
[編集]江戸時代から明治初期、高浜村には数カ所の寺子屋があったとされる[2]。1872年(明治5年)に学制が発布されると、恩任寺に高浜郷学校が創立された[2]。
昭和30年代までの高浜小学校は愛知県でも有数のマンモス校であり、1947年(昭和22年)の児童数は1620人、1957年(昭和32年)の児童数は2033人、1967年(昭和42年)の児童数は1635人、1977年(昭和52年)の児童数は1324人を数えた[1]。1976年(昭和51年)には高浜市立港小学校が開校し、また高浜市は学区の調整を行ったため、その後は落ち着いている[1]。オーストラリアのインガム小学校と姉妹校提携を結んでおり、手紙や児童作品の交換を通じた交流を行っている[1]。
年表
[編集]- 1873年(明治6年)6月28日 - 恩任寺に高浜郷学校として創立[1][2]。
- 1874年(明治7年)6月28日 - 第61番小学高浜学校として創立式を挙行[2]。
- 1941年(昭和16年) - 高浜町立高浜国民学校に改称。
- 1947年(昭和22年) - 高浜町立高浜小学校に改称。
- 1960年(昭和35年) - 当時としては珍しい鉄筋コンクリート造3階建ての校舎が竣工[2]。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 市制施行に伴って高浜市立高浜小学校に改称。
- 2019年(平成31年)4月 - 高浜市地域交流施設たかぴあが部分開館。
児童数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[3]。
1947年(昭和22年) | 1620人 | |
1957年(昭和32年) | 2033人 | |
1967年(昭和42年) | 1635人 | |
1977年(昭和52年) | 1324人 | |
1987年(昭和62年) | 922人 | |
1997年(平成9年) | 632人 | |
2007年(平成19年) | 640人 | |
2017年(平成29年) | 618人 |
著名な出身者
[編集]- 戸田懐生 - プロ野球選手。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『新学制実施五十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、1998年
- 『新学制実施七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、2018年