高津雅雄
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高津 雅雄(こうつ まさお、1855年6月19日(安政2年5月6日[1]) - 1933年(昭和8年)3月7日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
[編集]淡路国津名郡河上村(のち兵庫県津名郡鮎原村→五色町、現・洲本市)の大地主の家に生まれる[1]。徳島藩立郷学校に入り、漢籍を学び、その後、上京し、英語と漢学を修める[1][2]。小学校教員、学校世話掛、河上村戸長、学区取締、鮎原村長、同村会議員、津名郡連合会議員、同郡会議員、兵庫県会議員、同常置委員、徴兵参事員となる[1]。また、北浜銀行取締役となり[1]、ほか、由良町長、津名郡農会長、同教育会長、愛国銀行取締役頭取を務めた[2]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において兵庫10区から自由党公認で立候補して初当選[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党から立候補して再選を果たした[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1933年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。