高武公美
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高武 公美(こうたけ まさよし、1884年(明治17年)12月5日[1] - 1943年(昭和18年)5月3日[1])は、朝鮮総督府官僚。福岡市助役。玄洋社社員[2]。
経歴
[編集]福岡県宗像郡在自村(現在の福津市)出身[1]。1904年(明治37年)、福岡県立中学修猷館[3]、1906年(明治39年)、第五高等学校独法科を経て[4][5]、1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し[6]、貴族院嘱託となった。1911年(明治44年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[5]。奈良県属、朝鮮総督府試補、同事務官、全羅南道財務部長、平安南道財務部長、専売局事業課長、同庶務課長、平壌専売局長、大邱専売局長、中枢院書記官、忠清南道内務部長、江原道内務部長を歴任した。1932年(昭和7年)に退官。
その後、1933年(昭和8年)から1939年(昭和14年)まで福岡市助役を務めた。