コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高橋長七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高橋 長七郎(たかはし ちょうしちろう、1875年明治8年)3月16日[1] - 1944年昭和19年)8月1日[2])は、明治から昭和初期の実業家政治家宮城県本吉郡志津川町長、衆議院議員

来歴

[編集]

水沢県本吉郡、のちの宮城県本吉郡本吉村(志津川町[3][4]を経て現南三陸町)で製糸業・高橋長十郎、さき の二男として生まれる[3][5][6]慶應義塾を卒業し[2][3][4][5]、兄長平が死去したため家業を継承し旭製糸社長となった[3][5][6]

志津川町長、同町会議員、本吉郡会議員、同議長、宮城県会議員、宮城県産業調査会委員、本吉郡養蚕同業組合副長、同郡農会議員などを務めた[2][3][4][6]。町長在任中は植林事業を推進した[6]

1920年(大正9年)5月の第14回衆議院議員総選挙で宮城県第6区から出馬して当選し、立憲政友会に所属して衆議院議員に1期在任[2][4]。三陸沿岸の鉄道敷設を主張した[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、19頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』380-381頁。
  3. ^ a b c d e f 『宮城県百科事典』652頁。
  4. ^ a b c d 『衆議院議員略歴』271頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第6版』た72頁。
  6. ^ a b c d 『宮城県姓氏家系大辞典』372頁。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』衆議院事務局、1940年。
  • 『宮城県百科事典』河北新報社、1982年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 竹内理三ほか編『宮城県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典4、角川書店、1994年。