高橋秀臣
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高橋 秀臣(たかはし ひでおみ、1864年5月31日(元治元年4月26日[1]) - 1935年(昭和10年)11月14日[2])は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]西条藩士高橋村三郎の長男として[3]、伊予国新居郡西条(現在の愛媛県西条市)に生まれた。明治法律学校(現在の明治大学)で法学・政治学を学んだ。卒業後、伊予市之川鉱山会社取締役を経て、「進歩党党報」記者、「憲政党党報」記者、北陸タイムス社社長兼主筆を歴任した[2][3]。
神田区会議員、東京市会議員、同参事会員を務めた後、1930年(昭和5年)の第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。墓所は多磨霊園(18-1-35)。
著書
[編集]単著
[編集]- 『青年団結 急務檄言』文学同志会、1901年2月。NDLJP:783000。
- 『地方歳出並に農家経済の実状と非地租継続論』高橋書院、1902年11月。NDLJP:800044。
- 『鉱毒事件と現行法令論』横塚治三久、1902年11月。NDLJP:847338。
- 『日本の富力』大潮社、1923年1月。NDLJP:958659。
共著
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。