高橋政蔵
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高橋 政蔵 | |
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生誕 |
1885年7月2日 日本 山形県 |
死没 | 1954年1月12日(68歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1938年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
高橋 政蔵(たかはし まさぞう、1885年(明治18年)7月2日[1] - 1954年(昭和29年)1月12日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]山形県出身[1]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1917年(大正6年)8月、陸軍砲兵大尉に進級し[2]、1923年(大正12年)9月時点で陸軍兵器本廠附の任にあった[2]。1925年(大正14年)3月、陸軍砲兵少佐に進み[3]、9月時点で陸軍技術本部部員に転じ[4]、1926年(大正15年)8月に広島陸軍兵器支廠附兼陸軍技術本部附となった[5]。
1929年(昭和4年)8月、陸軍砲兵中佐進級と同時に野砲兵第4連隊附(第4師団[6][7])を発令され[8]、1932年(昭和7年)4月には壱岐要塞司令官に着任した[9]。1933年(昭和8年)8月に台湾軍兵器部長に転じ[9]、1934年(昭和9年)8月に陸軍砲兵大佐に進級[9]、1936年(昭和11年)8月には小倉陸軍兵器支廠長に就任した[1]。1938年(昭和13年)3月1日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][9]、3月25日に予備役に編入された[1]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 福川 2001, 427頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調967頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正15年9月1日調841頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調875頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和2年9月1日調853頁
- ^ 外山・森松 1987, 379頁.
- ^ 外山・森松 1987, 381頁.
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調838頁
- ^ a b c d 外山 1981, 249頁.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。