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高橋司 (JRA)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋司
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都
生年月日 (1950-05-03) 1950年5月3日(74歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
初免許年 1970年3月1日
免許区分 平地・障害
騎手引退日 1983年11月26日
重賞勝利 3勝
通算勝利 1130戦78勝
経歴
所属 中山白井分場→美浦高松三太(1970年 - 1979年)
美浦・大久保勝之(1979年 - 1983年)
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高橋 司(たかはし つかさ、1950年3月3日 - )は、東京都出身の元騎手

経歴

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1970年3月中山白井分場・高松三太厩舎からデビューし、同1日東京第2競走4歳未勝利・クインビクトリ(12頭中7着)で初騎乗[1]を果たしたが、勝ったシルバーアサヒの鞍上は同期の宮田仁で初騎乗初勝利[2] [3]、宮田と同厩で同郷の谷原義明もデビュー戦[4]であった。

6月27日札幌第10競走4歳以上100万下・ハーバーハードで初勝利[5]を挙げ、1年目の1970年は6勝[6]をマーク。

2年目の1971年には3月28日の中山第3競走障害5歳以上未勝利・ハーバーアラシで障害初勝利[5]を挙げ、同年には初の2桁勝利となる10勝(平地7勝, 障害3勝[7])をマークし、1973年まで3年連続2桁勝利[6]を記録。

3年目の1972年には3月18日19日の中山で初の2日連続勝利[5]、春の福島では4月8日9日に2度目の2日連続勝利、同30日には初の1日2勝を挙げた[8]

1973年には10月28日新潟第7競走チューリップステークスでミトモオーに騎乗してタカエノカオリを抑えて勝利[9]するなど、自己最多で最後の2桁となる19勝[6]をマーク。

1975年は4勝[6]に終わったが、同年からはホワイトフォンテン主戦騎手として活躍[10]日本経済賞では11頭中10番人気ながらフジノパーシアスルガスンプジョウイチフジイサミイナボレストウコウエルザを抑えて逃げ切り、単勝・枠連万馬券[11]で人馬共に重賞初勝利[10]を挙げる。 

1976年アメリカジョッキークラブカップでは9頭中8番人気ながら菊花賞コクサイプリンス有馬記念イシノアラシ秋の天皇賞馬フジノパーシア、オークス馬トウコウエルザ、ヤマブキオーを抑えて逃げ切り[12]、重賞2勝目[10]を飾る。日本経済賞ではイシノアラシ・アイフルを抑えて逃げ切り[13]、同レース連覇[10]を達成。

1983年7月9日の福島第6競走4歳未勝利・ドンフォンテンが最後の勝利となり[14]、同年11月26日の東京第3競走3歳新馬・エクセルフォンテン(10頭中9着)を最後に現役を引退[15]

騎手成績

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通算成績 1着 2着 3着 4着以下 出走回数 勝率 連対率
平地 65 66 70 785 986 .066 .133
障害 13 15 13 103 144 .090 .194
78 81 83 888 1130 .069 .141
主な騎乗馬
  • ホワイトフォンテン(1975年・1976年日本経済賞、1976年アメリカジョッキークラブカップ)

脚注

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