高根城 (浜松市)
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高根城 (静岡県) | |
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復元された高根城 | |
別名 | 久頭合城、久頭郷城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 奥山金吾正定則 |
築城年 | 応永21年(1414年) |
主な改修者 | 武田信玄 |
主な城主 | 奥山氏 |
廃城年 | 1580年頃 |
遺構 | 曲輪、堀切 |
指定文化財 | 市指定史跡 |
位置 | 北緯35度08分58秒 東経137度52分02秒 / 北緯35.14944度 東経137.86722度座標: 北緯35度08分58秒 東経137度52分02秒 / 北緯35.14944度 東経137.86722度 |
地図 |
高根城(たかねじょう) は、静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方にあった日本の城(山城)。
立地
[編集]遠江国と信濃国の国境に近い。両国を結ぶ秋葉街道を見下ろす久頭合の山頂、標高420mに位置する。高根城の近くで河内川が水窪川に合流し、これを自然の堀として利用した。
歴史
[編集]応永21年(1414年)、後醍醐天皇の孫・尹良親王を守るため、地元豪族・奥山金吾正定則によって築かれ、水窪川対岸には親王のための仮宮が建てられた。
戦国時代には駿河今川氏に属したが、今川氏が衰退すると、武田信玄の遠江侵攻が始まり、永禄12年(1569年)城主・奥山民部少輔貞益の時、姻戚関係にあった信州遠山氏に攻められ落城した。落城後、武田方により改修が行われ、1572年の遠江侵攻においては武田軍の拠点となった。
長篠の戦い後、武田氏の遠江からの撤退により廃城となった。
その他
[編集]2001年に本曲輪部分に井楼櫓、主殿、城門などが復元され、武田時代の山城の様子を見ることができる。浜松市水窪民俗資料館には高根城についての展示がある。
遠州七不思議の一つに、池の平に7年に一度だけ出現する幻の池伝説がある。これは、高根城落城で殺された城主の妻の涙が湧き出たものと伝わる(詳しくは池の平を参照)。
参考画像
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復元された大手門
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復元された井楼櫓
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復元された搦手門
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二の曲輪
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二重堀切
アクセス
[編集]参考文献
[編集]ウィキメディア・コモンズには、高根城に関するカテゴリがあります。
- “はままつの文化財・高根城跡”. 浜松市公式ホームページ. (2014年8月6日) 2016年4月3日閲覧。