高島七郎右衛門
表示
高島 七郎右衛門(たかしま しちろうえもん、1869年11月9日(明治2年10月5日)[1] - 1923年(大正12年)11月25日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。福井県多額納税者、福井新聞発起人(取締役)、越前電気取締役、越前製瓦代表、農業[3][4]。旧名・多作[5]。
経歴
[編集]福井県出身[2]。東京法学院で学ぶ。丹生郡立待村(現在の鯖江市)会議員、同村長、福井銀行、越前電気各(株)取締役、福井県農工銀行監査役となる[2]。
1920年の第14回衆議院議員総選挙において福井4区から立憲政友会公認で立候補して当選する[6]。衆議院議員を1期務め、1923年に現職のまま死去した。
家族
[編集]- 父・高島七郎右衛門(先代) ‐ 素封家。[3][7]
- 長男・高島七郎右衛門(勝也、1894年生) ‐ 福井県多額納税者、越前電気取締役、農業。妻の兄に福井県多額納税者で足羽郡教育会長の青山荘、青山秀三郎。相婿に野村行一。[8][9]
- 長女・愛(1900年生) ‐ 高島茂平の長男・一郎の妻[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。