高岡秀行
高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )は滋賀県出身の元騎手、元調教師。ホッカイドウ競馬からシンガポールターフクラブに移籍した。
来歴
[編集]滋賀県立八日市高等学校卒業後、2年間の浪人生活を送るも、大学受験に失敗。その後は縁もゆかりもない北海道へ渡る。
牧場でアルバイトをするうちに騎手を志すようになり、1979年にデビュー。23歳と遅咲きながら通算524勝を挙げ、1992年に引退。
1993年からは調教師に転身し、2000年には年間54勝でリーディングトレーナーとNARグランプリの最優秀調教師賞を受賞。
ホッカイドウ競馬ではJRA1勝を含む通算356勝を挙げたが、2002年に3人の日本人スタッフを引き連れてシンガポールターフクラブへ移籍[1]。シンガポールターフクラブ初の日本人調教師となった[注 1]。シンガポールで現地中国語のメディアは「高岡」のみ表記された。
2003年2月7日に初出走を果たし、4月18日にアサティス産駒の日本産馬・イッポンゼオイ(Ipponzeoi)で移籍後初勝利を挙げる。1年目の同年は6勝に終わったが、2年目の2004年は11勝、3年目の2005年は17勝と徐々に勝ち星を上げていく。
2006年にはダイアモンドダスト(Diamond Dust)で移籍後初重賞制覇を成し遂げ、同馬で国際G1のシンガポール航空インターナショナルカップに初出走してコスモバルクの5着となった。
2008年にはエルドラド(El Dorado)でシンガポールダービー2着の後、シンガポールゴールドカップで優勝して初G1制覇を達成。同レースには同じく管理馬で日本産のジェイド(Jade)も出走して4着と健闘した[2]。同年には他厩舎から移籍してきた日本産馬のジョリーズシンジュ(Jolie's Shinju)がパトロンズボウルで優勝し、G12勝目をあげた。この実績が認められ、NARグランプリ2008の特別賞を受賞した[3]。
2009年にはジョリーズシンジュでシンガポールダービーも優勝し、同馬は4歳三冠路線が指定されてから初の三冠馬となった。
2013年にはベターライフ(Better Life)でシンガポールダービー2勝目を挙げた。
2023年11月に調教師を引退した[4]。当初は厩舎を後継者に譲り[4][5]、2023年6月に引退する予定であったが[4]、同月にシンガポール競馬の廃止が決まった(2024年10月廃止予定[6])ため厩舎の引継ぎが不可能となり、引退を延期して11月まで厩舎運営を続けた[4]。
代表管理馬
[編集]- タキノスペシャル - 北海道3歳優駿(統一GIII)
- エルドラド(El Dorado) - シンガポールゴールドカップ(星G1)
- ジョリーズシンジュ(Jolie's Shinju) - パトロンズボウル(星G1)、シンガポールダービー(星G1)
- ベターライフ(Better Life) - クランジマイル(星G1)、シンガポールゴールドカップ(星G1)、シンガポールダービー(星G1)
- ダイヤモンドダスト(Diamond Dust) - コミティーズプライズ(星G3)
- ナミ - エーデルワイス賞(統一GIII)
- クローリバー - 北海優駿
- トウショウラッキー - ヤングチャレンジカップ
※星Gはシンガポールローカルグレード(国際グレードとは異なる)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 海外競馬ニュース 2008 No.44日本人ホースマンのパイオニアとして活躍する高岡調教師
- ^ Gold rush falls to El Dorado - ThoroughbredNEWS(英語)
- ^ “高岡秀行調教師 シンガポール7年の足跡”. web Furlong. 2023年9月9日閲覧。
- ^ a b c d “Takaoka retires after 21 years at Kranji”. iRace (2023年11月27日). 2024年5月4日閲覧。
- ^ “シンガポールで来月厩舎を開業 新冠で修業、元騎手の波多野さん「日本馬で好成績を」”. 北海道新聞 (2023年3月7日). 2023年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月2日閲覧。
- ^ 「シンガポール競馬廃止へ 来年秋、180年歴史に幕」『産経ニュース』2023年6月6日。2024年5月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- Star Racing - シンガポールの日本人共有馬主クラブ。高岡厩舎公式も兼ねる。
- Singapore Turf Club - シンガポールの競馬主催団体(英語)
- 調教師登録情報 - 地方競馬情報サイト