高岡大仏
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座標: 北緯36度44分44.3秒 東経137度1分1.9秒 / 北緯36.745639度 東経137.017194度
高岡大仏(たかおかだいぶつ)は、富山県高岡市大手町の大佛寺にある銅製阿弥陀如来坐像。
概要
[編集]台座の内部には回廊があり地獄絵などが展示されていて、中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。高岡大仏は高岡銅器の職人の技術の結晶と言えるもので、高岡市の象徴的な観光地となっている。高岡市指定有形文化財に指定されている[1]。
奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏を称する[2][3]。また、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つ[4]。なお、江戸時代には奈良大仏(像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏、像高約19m)の三尊が日本三大仏と称されていた[5]。
1933年、歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われる[6][7]。
歴史
[編集]- 1221年 - 源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立される[7]。
- 1609年 - 前田利長によって高岡開町。それと共に1221年に建立された大仏を城下に移転。後に焼失[7]。
- 1745年 - 坂下町の極楽寺の第15代住職である等誉上人の手で、高さ約9.7mの金色の木造大仏が再建される[7]。
- 1821年 - 1745年に再建された大仏が焼失する。
- 1841年 - 大仏が再建される。
- 1900年 - 高岡大火が発生し、大仏も焼失する。
- 1907年 - 火に強い大仏の再建を望む声が高まる。松木宗左衛門が発願し、高岡銅器の職人の協力のもと、現在の大仏の建立が始まる。
- 1932年 - 荻布宗四郎などの協力を得て、新しい大仏がほぼ完成。
- 1933年5月3日 - 5月5日 - 新しい大仏が完成。開眼供養が行われる[8]。
- 1958年9月 - 円光背が取り付けられる。
- 1980年 - 補修が行われ、現在の場所に移動(約11m後退)。
- 1981年
- 4月15日 - 「銅造阿弥陀如来坐像」として高岡市指定有形文化財に指定[1]。
- 4月19日 - 修補大工事が竣工[9]。
- 2007年 - 再び補修が行われる。
諸元
[編集]交通アクセス
[編集]高岡市の中心市街地に位置している。最寄り駅である万葉線の坂下町停留場には、「高岡大仏口」という副駅名が付いている。
脚注
[編集]- ^ a b “高岡市指定文化財”. 高岡市. 2019年4月20日閲覧。
- ^ 観光スポット 高岡大仏とやま観光ナビ
- ^ 高岡大仏高岡市 2013年3月21日
- ^ 『ふるさとレガシー 庄川大仏 富山三大大仏の一つ』北日本新聞 2021年10月22日22面
- ^ 薬師寺君子『写真・図解 日本の仏像 この一冊ですべてがわかる』西東社 2016年 p.170
- ^ 高岡の大仏さま 高岡市観光ポータルサイト
- ^ a b c d 『西部 ふしぎ散歩12 高岡大仏なぜ愛される』北日本新聞 2020年6月27日17面
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第1巻』(2000年5月20日、北日本新聞発行)206頁。
- ^ 『目で見る 高岡・氷見・新湊の100年』(1993年11月27日、郷土出版社発行)165頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 高岡大仏
- 高岡市教育委員会文化財課 高岡大仏
- 高岡市観光ポータルサイト たかおか道しるべ 高岡大仏
- 観光のまち高岡 高岡大仏 - ウェイバックマシン(2009年3月10日アーカイブ分)