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高山義雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 1997年1月12日)は、日本の実業家三和銀行元副頭取。兵庫県神戸市出身[1]

経歴・人物

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大阪市南区心斎橋筋1丁目にあった糸商・伏見屋の3男として生まれる。

大阪市立御津尋常小学校市岡商業学校を経て1932年神戸高等商業学校を卒業し、山口銀行に入行[1]。翌年の合併により、三和銀行の行員となる[1]

一貫して調査畑を歩み、取締役、専務を経て、1970年から1972年まで副頭取を務めた[1]

その一方で、1969年から1970年までに関西経済同友会代表幹事を務め[2]1970年大阪万博の際には、「みどり館」の責任者を務めた[1]

後に関西石油株式会社社長、株式会社みどり会社長を歴任[1]

1997年1月12日急性心筋梗塞により死去[3]。86歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1985, た245頁.
  2. ^ 歴代代表幹事名簿 | 一般社団法人 関西経済同友会一般社団法人 関西経済同友会
  3. ^ 1997年1月13日 日本経済新聞 夕刊 P13

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。