高山義雄
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高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 1997年1月12日)は、日本の実業家。三和銀行元副頭取。兵庫県神戸市出身[1]。
経歴・人物
[編集]大阪市南区心斎橋筋1丁目にあった糸商・伏見屋の3男として生まれる。
大阪市立御津尋常小学校、市岡商業学校を経て1932年に神戸高等商業学校を卒業し、山口銀行に入行[1]。翌年の合併により、三和銀行の行員となる[1]。
一貫して調査畑を歩み、取締役、専務を経て、1970年から1972年まで副頭取を務めた[1]。
その一方で、1969年から1970年までに関西経済同友会代表幹事を務め[2]、1970年の大阪万博の際には、「みどり館」の責任者を務めた[1]。
後に関西石油株式会社社長、株式会社みどり会社長を歴任[1]。
1997年1月12日急性心筋梗塞により死去[3]。86歳没。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 人事興信所 1985, た245頁.
- ^ 歴代代表幹事名簿 | 一般社団法人 関西経済同友会一般社団法人 関西経済同友会
- ^ 1997年1月13日 日本経済新聞 夕刊 P13
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。