高山太郎
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高山太郎 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 茨城県 |
生年月日 | 1975年3月17日(49歳) |
身長 | 160.0cm |
体重 | 50.0kg |
血液型 | A型 |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 | 美浦・フリー |
初免許年 | 1994年 |
免許区分 | 平地・障害 |
騎手引退日 | 2010年1月31日 |
重賞勝利 | 1勝(2000年カブトヤマ記念) |
高山太郎(たかやま たろう、1975年3月17日 - )は日本中央競馬会(略称:JRA、以下JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教助手で元騎手。茨城県出身。
来歴
[編集]父はJRA元騎手で調教助手の高山裕。祖父、叔父も調教師という環境で育った。
競馬学校騎手課程第10期生として入学。同期には吉田豊、幸英明、渡邊薫彦、植野貴也らがいる。
1994年に騎手免許を取得し、美浦佐藤全弘厩舎所属としてデビュー。初騎乗は同年3月5日中山競馬第3競走でフレンドシップ(14頭中3着)、初勝利は3月26日中山競馬第3競走でドウカンパレードで挙げる。騎手1年目は25勝を挙げ、同年の新人賞にあたる民放競馬記者クラブ賞を受賞しホープと目されていた。
しかし以降は騎乗機会に恵まれず、毎年10勝前後の成績に低迷。そのようななか、2000年10月21日福島競馬第11競走カブトヤマ記念(GIII)で自厩舎のヘッドシップに騎乗し優勝。自身にとって唯一の重賞勝利となった。
2006年に所属していた佐藤厩舎を離れ、フリーランスとして活動していたが、2010年1月31日をもって騎手免許を返上し引退。松山康久厩舎の調教助手へ転業した[1]。
騎手成績(中央競馬)は3,938戦142勝、うち重賞は1勝。障害競走には騎乗実績がなかった。
主な騎乗馬
[編集]- ヘッドシップ(2000年カブトヤマ記念)
- トップパシコ(2006年シルクロードステークス3着)
- ケイワンバイキング
- ノーザンレインボー
- ブランドイメージ
- ミヤノスカーレット
出典
[編集]- ^ “高山太郎騎手、最後の騎乗を終えて”. ラジオNIKKEI. 2023年7月29日閲覧。