高安氏
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高安漢人
[編集]河内国高安郡に起こる古き氏なり。河内国高安郡に居りし、漢人を高安漢人といい、
後に高安を冠して、造連、宿禰ら姓を賜ひしが、高安氏の始まり。
高安漢人は大陸よりの帰化人ながら、先祖が中国の後漢の光武皇帝、孝章皇帝の子孫にあたる渡来氏族。
河内国の一郡にあたる高安郡に飛鳥時代667年(天智天皇6年)に天智天皇が標高488メートル高安山のふもとに倭国最後の防衛線のために高安城を築城し、その豪族は高安氏となり今も受け継がれている。
大関・髙安晃の祖父・高安清の出自であり、晃は末裔である[1][2]。
高安村主
[編集]前項の一族[3]。
高安造
[編集]前項の一族。天平神護2年(766年)10月、河内国大初位下毘登戸東人ら94人に高安造の姓を賜るという[3]。
高安公・高安宿禰
[編集]前節の高安氏と同族。元慶3年(879年)、河内国高安郡人、常陸権目常澄宿禰秋雄らに高安宿禰の姓を賜るという[3]。
紀姓高安氏
[編集]本姓は紀氏。家系は紀長谷雄を祖とし、河内国に起こり、常陸国に多く一族存するという。その家系は以下の通り[4]。
系譜 大納言長谷雄―左衛門佐致雄―忠行―忠納言貞雄―河内守雄致(高安庄司―八郎貞致―八郎貞行―貞直―八郎貞之―八郎貞仲―某―左近衛将監―伊予守―八郎貞勝―九郎貞行
常陸国の高安氏
[編集]また、幕末維新期の志士・義民にも高安姓の人物が見える。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
- 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)
- 常陸太田市史編さん委員会編『佐竹家臣系譜』(常陸太田市、1982年)