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高原次利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
高原 次利
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天文5年(1532年
死没 元和5年10月10日1619年11月15日
別名 通称:久右衛門
墓所 香川県香川郡直島町極楽寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠
氏族 高原氏
次勝
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高原 次利(たかはら つぐとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将旗本讃岐国直島城主。

略歴

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高原氏は讃岐国香川郡直島の領主で、寛元4年(1246年)に直島の支配を任せられたという[1]

天正10年(1582年)、次利は羽柴秀吉による高松城攻めで海陸の案内を引き受け、その恩賞として備前国児島郡のうち、五百四十五貫文を加増され[2][3]、直島・男木島女木島を領有を認められた[1]

その後、九州征伐文禄・慶長の役にも水軍を率いて参加し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して所領を安堵された[1]

元和5年(1619年)10月10日、死去。88歳没(『寛政重修諸家譜』)[2][3]

脚注

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  1. ^ a b c 森岡浩『戦国大名家辞典』東京堂出版、2013年12月30日、333頁。ISBN 9784490108422 
  2. ^ a b 高柳光寿、松平年一『戦国人名辞典 増訂版』吉川弘文館、1973年7月20日、144頁。 
  3. ^ a b 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、473頁。ISBN 4404017529