高原慶一朗
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髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉10月3日)は、日本の実業家。位階は従四位。
ユニ・チャーム創業者で、同社初代代表取締役社長や、日本経団連評議員会副議長等を務めた。第2代ユニ・チャーム代表取締役社長の髙原豪久は長男[1][2]。
人物・経歴
[編集]愛媛県川之江市(現四国中央市)生まれ[2]。地元の中学校を総代で卒業し、松山高等学校を経て、大阪市立大学でマルクス経済学を学び、3年で卒論以外の必要単位を取得したため、指導教官の紹介状をもらい、4年目は一橋大学でケインズ経済学を学んだ。1953年大阪市立大学商学部卒業。卒業論文は「我が国の紙パルプ工業の実証的研究」[3][4]。同年関西紙業入社[3]。
父が経営する家業の国光製紙(現ユニ・チャーム国光ノンウーヴン)専務を経て[1][5]、1961年大成化工(現ユニ・チャーム)を設立し、同社代表取締役社長に就任[5]。1987年に藍綬褒章を受章[6]。2001年代表取締役会長。2004年に旭日重光章を受章[6]。2005年大阪市立大学名誉博士[7]。2008年取締役会長。2011年取締役ファウンダー[8]。日本経団連評議員会副議長、四国経済連合会副会長[3]、大阪市立大学学友会会長等も歴任した[7]。
2018年10月3日、老衰のため死去。87歳没[2]。叙従四位[9]。
著書
[編集]- 『感動の経営 : 大事は理、小事は情をもって処す』ダイヤモンド社 1994年
- 『やる気・やるチャンス・やる力 : ビジネスで成功する100の知恵』日経BP社 1997年
- 『チャレンジ立国論 : 会社や産業を創り、壊し、再生する』東洋経済新報社 2000年
- 『転機は勝機 : まことに日に新たに、日に日に新たに、また日に新たなれ』ユニ・チャーム 2001年
- 『賢い人ほど失敗する : 要領が悪い人でも成功するヒント』PHP研究所 2003年
- 『人生を生き抜くカン・コツ・急所』PHP研究所 2005年
- 『理屈はいつも死んでいる』サンマーク出版 2006年
脚注
[編集]- ^ a b 「髙原 慶一朗」の家系」思い出のアルバム
- ^ a b c “ユニ・チャーム創業者の髙原慶一朗さん死去”. 朝日新聞デジタル. (2018年10月9日) 2018年10月9日閲覧。
- ^ a b c 「賢い人ほど失敗する―要領が悪い人でも成功するヒント」紀伊國屋書店
- ^ ユニチャーム会長・高原 慶一朗氏 私の履歴書(2010年3月日本経済新聞連載)
- ^ a b 高原慶一朗コトバンク
- ^ a b “高原慶一朗氏死去=ユニ・チャーム創業者、87歳”. 時事通信. (2018年10月9日) 2018年10月10日閲覧。
- ^ a b 「大阪市立大学名誉博士」大阪市立大学
- ^ 高原 慶一朗
- ^ 『官報』7385号、平成30年11月8日
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