高倉量子
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高倉 量子(たかくら かずこ、生没年不明)は、後奈良天皇の典侍。父は参議の薄以緒。養父は権大納言の高倉永家。通称は新内侍、藤内侍、勘解由小路局。藤原量子とも呼ばれる。
は参議の薄以緒の娘として生まれ、後に権大納言の高倉永家の養女となる[1]。1533年(天文2年)に後奈良天皇の掌侍となり、新内侍と称し、「めめないし」と呼ばれていた。1542年(天文11年)に妹の好子が参入したため、藤内侍と名を改めた[1]。
後奈良天皇との間には第五皇女の普光女王を儲けた。普光女王は安禅寺の預かりとなる[2]。
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