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高倉 継子(たかくら つぐこ、? - 1527年(大永7年))は、後柏原天皇の掌侍。父は権中納言の高倉永継。藤原継子とも呼ばれる。勾当内侍と称した。
権中納言の高倉永継(装束の家)の娘として生まれる[1]。
後柏原天皇の掌侍となり、1503年(文亀3年)に第四皇子の道喜を生む。道喜は仁和寺で出家し、上乗院へ移った後は上乗院宮と称した。
1527年(大永7年)、死去[2]。
- ^ “高倉家(半家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月19日閲覧。
- ^ 「歴史学研究 第537~549号」(歴史学研究会、1985年)