高井蘭山
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高井 蘭山(たかい らんざん、1762年(宝暦12年)- 1839年2月6日(天保9年12月23日))は、江戸時代後期の戯作者である。名は伴寛。字は思明。通称は文左衛門。蘭山・晒我と号す。宝雪庵蘭山は別人。
経歴・人物
[編集]蘭山の母方の伯父に龍隣庵素月という俳人がいたこと、蘭山の祖父は仕官の身で俳諧を嗜み、倫菊と称したが享保年中に没したこと、蘭山自身も幼少期から明和・安永年中の20代にかけて俳諧宗匠と交流していたこと、大石喜章が蘭山の妹婿であることが明らかになっている[1]。蘭山自身は、下谷から芝伊皿子に移り住み、江戸幕府に与力として仕えていた[1]。
寛政3年(1791年)刊『年中時候弁』、同4年(1792年)刊『訓蒙天地弁』を著して以来、漢籍・往来物・女訓書・字書などといった啓蒙書を著した。著述活動の背景には、書肆・星運堂花屋久次郎の存在が大きい[1]。
享和3年(1803年)刊『絵本三国妖婦伝』が最初の読本で、文化2年(1805年)から曲亭馬琴の後を受けて『新編水滸画伝』を翻訳した。文化5年(1808年)『孝行嫰物語』『那智の白糸』を刊行する。文化6年(1809年)『星月夜顕晦録』は歴史に取材する作風を見せ、『奇譚青葉笛』『復讐手引糸』『絵本重編応仁記』『平家物語図会』『鎌倉年代記』といった類似した作風の作品を刊行した[2]。
作品
[編集]- 寛政3年(1791年)刊『年中時候弁』
- 寛政4年(1792年)刊『訓蒙天地弁』
- 寛政11年(1799年)刊『音訓国字路』
- 享和3年(1803年)刊『和漢朗詠国字抄』
- 享和3年(1803年)刊『絵本三国妖婦伝』(中編は文化元年(1804年)刊・下編文化2年(1805年))
- 文化5年(1808年)刊『孝行嫰物語』、『那智の白糸』
- 文化6年(1809年)~文政10年刊(1827年)刊『星月夜顕晦録』
- 文化10年(1813年)刊『奇譚青葉笛』
- 文化11年(1814年)刊『復讐手引糸』
- 文政6年(1823年)刊『俳字節用集』
- 文政7年(1824年)~文政9年(1826年)刊『絵本重編応仁記』
- 文政10年(1827年)刊『山路栞』
- 文政11年(1828年)以降刊『新編水滸画伝』(2編~9編)
- 文政12年(1829年)刊『平家物語図会』前編(後編は嘉永2年(1849年)刊)
- 天保2年(1831年)序『春雨譚』
- 天保3年(1832年)~天保7年(1836年)刊『唐詩選画本』(5編~7編)など
- 天保14年(1843年)『鎌倉年代記』
脚注
[編集]- ^ a b c 村上義明『高井蘭山の家系と著述活動』日本近世文学会、2017年。doi:10.20815/kinseibungei.106.0_43 。2020年3月1日閲覧。
- ^ 日本古典文学大辞典編集員会『日本古典文学大辞典 第4巻』岩波書店、1984年7月、128頁。